5月 052014
 
Museo De La Fundacion Joan Miro

 

寡黙なミロが、語った言葉が痺れます。
「私は大地からはじまり、ものを描くのです。
大地を踏みしめて描かなければならない。
力というものは足から入ってくるからだ。」

彼の大地はカタルーニャの土であり風土そのものです。
郷土を愛し、大地に深く根ざすことをつらぬいた芸術家、ミロ。

人とは、社会とは、国とは何か?
そして、そこに息づく命と、生きる歓びとは?
カタルーニャの大地や木々、風や星や雲の中にその答えを見出したミロ。

彼の評伝を読むと苦闘の日々が伝わってきます。
寡黙であり、真面目であるがゆえに、
感じたこと、見たものの本質から目を反らさず、
自身の内面と真摯に向き合い、もがき苦しんでいます。

そういう苦悩や悲しみの末に生まれた彼自身の精髄のような作品であるから、
私たちの魂を揺さぶるのだと思います。
ミロの精神の崇高さが作品の豊かさとなって
人々から愛されているのでしょう。

ミロのことが理解したくて、カタルーニャの歴史資料を読み、
頭の中を整理するために簡潔に年表にまとめてみました。
興味のある方はこちらからお読み下さい。

『美の旅人スペイン編』(伊集院静著)の中で、
ミロと詩人で美術評論家の瀧口修造の出会いと親交の部分が興味深く描かれていました。
瀧口修造は、ミロの才能を一早く発見し、
1940年、世界で最初に彼に関する論文を執筆刊行しています。
1966年、ミロが来日した際に銀座の南画廊で二人は初めて出逢い、
そこで瀧口が26年前に執筆した著書を渡し、
この本の発行日を知ったミロは、
10歳年下の無口な日本の詩人の肩を優しく抱いたと描かれています。
以来二人の友情は続き、ミロが再来日した折、二人は三日間ホテルに同宿して、
『手作り諺』という詩画集(7カ国語の本文にミロのリトグラが添えられた画期的な本)を合作したそうです。
その後もミロは瀧口の詩集のために何点かの作品を描き、『ミロの星とともに』を刊行。

そして、伊集院さんは、瀧口の詩集『曖昧な諺』の中の
「石は紅さして、千年答えず」という一節を紹介していました。
それに続く伊集院さんの文章が
「ミロもこの一節を読んでいたと想像する。大地は美しく寡黙であると。画家と詩人は見据えていたのではなかろうか。」

 

ミロの作品とヘミングウエイとの逸話も有名です。

ミロの作品『農園』を買い求めたヘミングウェイの言葉
「この絵は、スペインにいるときに感じているすべての要素が内包されており、
その一方でスペインを離れて、故郷に戻れないときに感じるものすべてがある。
誰もほかに、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」

“It has in it all that you feel about Spain when you are there and all that you feel when you are away and cannot go there.
No one else has been able to paint these two very opposing things.”

制作に9ヶ月も費やしたこの作品は、完成当初、不評でした。
ミロは、パリ の画廊を歩き回りましたが買手はつきません。
たまたま一日だけ、カフェに展示する機会を与えられ
そのたった一日の展示期間に、この作品に魅入られた人物がヘミングウェイ です。
しかし、当時のヘミングウェイには、お金がありません。
ヘミングウェイと彼の友人は、街を奔走し、友達から金を借り集めます。
なんとか支払い期日に間に合って、ヘミングウェイ はこの作品を手に入れたそうです。

 

 

ガウディやミロのカタルーニャ魂を考えるために年表を作りました

 

『農園』National Gallery of Art, Washington
左にある畑がきれいに耕されて、種まきの始まりを待ち構えている様子なので季節は春でしょう。犬は欠伸して、鶏の鳴声がこだまし、遠くの井戸では馬が水を汲み上げています。あちこちに散乱する農具。もうすぐ始る仕事の準備に追われている様子。人も動物も、勝手気侭に行動している様だけど、ある秩序が感じられます。この作品を観ていると、風の音や、動物達の声や、農作業に従事している物音が聴こえる様な気がします。それは、何故だか懐かしい物音で、農家の生活とは無縁のわたしでも、故郷に帰った様な錯覚を抱いてしまいます。

 

 

 

  •  5月 5, 2014
5月 052014
 
ショパンとサンドが暮らした修道院を望むテラスでのランチ 
ヴァルデモッサ・ホテル・レストラン(Valldemossa Hotel Restaurant)

 

 

パルマ・デ・マヨルカの北西約 17 km にある山間の村『ヴァルデモッサ』は、
ショパンとジョルジュ・サンドが一冬を過ごしたカルトゥハ修道院があることで有名な村です。

この村の中心からなだらかな坂道を上がった高台に佇むのが、ヴァルデモッサ・ホテル・レストラン。

 

 

下調べなくルレ・エ・シャトーだという理由だけでランチに訪れたオーベルジュでしたが大当たり。石造りの美しい建物とその景観の素晴らしさに感動。宿泊してみたい宿です。

 

ゲートからのアプローチ。左側の奥にあるエレベータが3階にあるレストランの入口。正面の階段を上がると2階にあるホテルのフロントへとつながる。

 

地上 3 階の高さにあるテラス・レストラン。このモダンなエレベータを降り、いきなり眼前に広がった景観に高揚してしまいました。

 

ショパンとジョルジュ・サンドが一冬を過ごした修道院を正面に望むテラス席。8世紀頃からキリスト教徒たちが山々の急斜面に築き上げた石垣や段々畑は、世界遺産にもなっている見事な景観。 今は、その段々畑にオレンジやアーモンドの木が植えられています。

 

 

 

ロブスターが2段になってぎっしり詰まったサンドイッチ。アボカドと野菜とのバランスもよく、とても美味しかったです。

 

美しいサラダ

 

こんな所に冷蔵庫を納めています!

 

階段の上がレストラン。下に降りてゆくと、プールと庭を散策できます。

 

 

 

お部屋の入り口だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  5月 5, 2014
5月 042014
 
アサドール・エチュバリでの奥深い炭火焼きの世界
Asador Etxebarri Atxondo(Michelin☆ The world 34th best restaurant)

 

世界の美食家が足繫く通うと言われる炭火焼きで有名なレストランです。

この前夜にホテルのロビーで話をした美食家と思われるアメリカ人も、

仕事は忙しいが、時間が少しでもあるとエチュバリが目的でビルバオまで飛んできてしまうと話していました。

ソースは使わず、食材を大事に丁寧に扱い、その魅力をしっかりと引き出した料理を提供してくれる素晴らしいレストランです。

普段コースの料理を全てアップすることはありませんが、割愛できるものがありませんでした。

 

バッファローまで飼っているらしく モツァレッラも毎日必要な分だけ作るそうです。 ミルクを煮詰める時に炭でスモークしている。濃厚でした。

 

右:アンチョビの塩漬けのブルスケッタ 左:炭で香付けした山羊乳のバター くせは全くなく優しい香りでクリーミー。

 

どんぐり食の豚の優しい味のチョリソーは、ごく僅かに暖かく一瞬炙ったと思われます。

 

香り高い生のセントジョージ・マッシュルームとクラッカー

 

コロッケも炙っていて香ばしい!!

 

ペルセベ (Persebe)(亀の手)  スペインの漁師が命がけで獲る高級珍味です。 海老と貝を足して二で割ったような味で とても美味しいです。

 

パラモス海老の炭火焼き。中まで温かく火は通っているのに身に透明感があり、やわらかく、身もミソも程よい甘みがあります。 この絶妙な火加減は何なんでしょう!! 味付けは軽い荒塩のみ。お代わりしたかったです。*パラモスとは、美味しいエビの水揚げで有名な地中海の港町。

 

 

小さなタコの炭火焼 またもや 火入れの加減が最高。かすかな塩加減、素材そのものの持つうまみが前面に。

 

スクランブルエッグ &生セントジョージマッシュルームのスライス。 スクランブルエッグのイメージと違うものが運ばれてきてビックリ。トロッとしたクリーミーソースのような存在で、キノコのスライスによく合っていました。

 

春の一時しか取れない涙形グリンピース (ギザンテ・ラクリマ)とその100%ジュースに僅かな塩。 舌が日本料理の繊細な旨みを感じたのはなぜでしょうか?

 

赤鯛の炭火焼き

 

魚の付け合わせ。焼いただけのアーティーチョークとベイビー空豆が絶品です。

 

牛のチュレタ (Chuleta 骨付きロース肉) 。表面は焼けていて、中はほとんど生。おき火(ブドウの木を使うらしい)で、じっくりと火を入れつつ、焼いていない面に塩をする。そうすると、じんわり塩味が中に浸透してゆき旨味を増す。そして最後に表面を焼き付けるらしい。シンプルな自家菜園のレタスサラダは、チュレタにぴったりでした。

 

ミルクアイスクリーム 初めての食感です。 朝絞った山羊の乳を炭火で加熱して サーブするタイミングに合わせて アイスクリームマシーンに入れるそうです。

 

世界一のデザートと云われる フラン (Flan) 。 チーズケーキのようにリッチで スフレのような軽さです。

 

素朴な店内

 

手前はチュレタを焼くブドウの木。奥にワイン樽のオークも見えます。 焼くものによって使う木が決まっているそうです。

 

このハンドルで鉄網を上下することで、火加減を調整しています。火通しは、すべてシェフが行うそうです。

 

水はレストラン正面の広場にあるこの井戸から汲んで使っている。

 

正面左の建物の2階がレストラン、1階はバル。

 

ビルバオからバスで一時間程の山間の小さなアチョンド村。 野菜、鶏、山羊、バッファローも、食材は全てここで育てている。

  •  5月 4, 2014
5月 032014
 
Museo Guggenheim Bilbao

 

 

フランク・ゲーリーらしい曲線。圧倒的な存在感の造形が、周辺の公共空間と調和しながら泰然と鎮座しています。美術館には、年間100万人が訪れ、莫大な建設費は3年で回収したとか…。

 

幾重にも重なるチタンの局面が光を反射して美しいグラデーションを作っています。また、建物全体の緩やかな曲線と呼応するかのように川沿いの遊歩道も湾曲していて一体感があります。さらに、この遊歩道の湾曲によって、ネルビオン川も同じ曲線を持っているかのように見せています。

 

ライトアップが素敵な夜の遊歩道

 

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといます。

 

先に見える高層ビルは、この都市再生マスタープランを担当したシーザー・ペリの作品。

 

空にニョロニョロと伸びてゆく感じ。

 

エルネスト・ネト (Ernesto Neto)の展示室。伸縮性と透過性に優れた布地を用いた有機的な形態のインスタレーション。 解説によると、 「感覚は次第に解き放たれていき、 まるで胎内にいるような安らぎに包み込まれる」 とのこと。 ネットの中に自然な香料が入っていて それがまたこの空間にぴったりの安らぎの香り。

 

ヨーコ・オノの「願いの木」 。ネトの展示室も ヨーコの「願いの木」も どちらも参加を誘うアート。 人々が参加して、 見事にアートに溶け込んでいます。後ろの巨大な鍾乳洞みたいなインスタレーションは、エルネスト・ネトのもの。

 

沢山の自然光が入り、開放感のある吹き抜けエリア。この空間の特製を最大限に活かしたネトによるインスタレーション。巨大なオブジェにも、やはり安らぎに包まれた感覚があります。

 

  •  5月 3, 2014
5月 012014
 

サンセバスチャンの市場にすっかり感心して納得して

 

フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーが、

バスク地方の文化的伝統の中心地であり、自由と独立の象徴的な町『ゲルニカ』について記述しています。

「ゲルニカには地上で一番幸せな人びとが住んでいる。聖なる樫の樹の下に集う農夫たちがみずからを治め、その行動はつねに賢明なものであった…。

そんなバスク地方は今でも、スペインでありながら似て非なるもの。

独自の言葉と文化を頑なに守り続けています。

ビスケー湾の豊かな海の恵み、山間の広大で緑豊かな牧草地や豊富な雨は、質の高い酪農品と瑞々しい野菜を生む。食材は一級品。

人々は、繊細でまじめで勤勉。明るくて温かい。

食材を慈しみ、創造力に富んでいて、食べることを謳歌している。

特にサンセバスチャンには、高城さんの本のタイトル通り、

人口18万の都市に三つ星レストランが3店、世界ベスト10レストランが2店ある。

レシピはフランスのような秘伝ではなく、きちんと図式化され公開されていて、レシピを共有しながら競争することで、

技術や味のレベルアップが生まれるという革新的な考え方。

何故こんな不便な所に世界から美食家が押し寄せるのか、よーくわかりました。

 

 

木曜の夜、サンセバスチャンの市場は、バルになります。八百屋も肉屋も魚屋も店の前でピンチョスを売り、生バンドや即席バーも入る。写真がありませんが、魚屋の前に並んだ寿司スタンドは、やはり人気があります。地中海のマグロもなかなかおいしい。

 

近代的で清潔感のあるサンセバスチャンのラ・ブレチャ市場。(Mercado de la Brexta) それにしても、この市場、やたらと女性がテキパキ働いてます。

 

ほとんど近海ものですから、新鮮なのはもとより、まるで築地のような鮮魚に対する扱い方です。

 

 

このおばちゃん達、おしゃべりしながら、しっかり手を動かして、野菜の下処理をしている。 それもとても繊細に丁寧に。さやから出された小さなえんどう豆のパック。、筋を取ってきれいに切り揃えたインゲンのパック。 アスパラの皮も剝いて真空パックにしています。

 

 

皮を剥いたアスパラは、先の部分と根本の部分とが別々の真空パックになって売っています。確かに用途を使い分けるべきですから…。

 

『旅の友』だった人参スティック。綺麗に面取りされて 4 cm 位の一口サイズになっています。

 

  •  5月 1, 2014
4月 302014
 
シェ・パブロのピペラートとエスペレットの唐辛子
Chez Pablo

 

サン・ジャン・ド・リュズにある家族経営のレストラン『シェ・パブロ』。

奥様の作るバスク地方の郷土料理と陽気なパブロさんが作る和気藹々とした店の雰囲気が人気の繁盛店です。

パブロさん、決して押しつけがましくないのに、彼がコンダクターとなって、気が付くと他の客達と一緒に笑ったり、話したり、

店内に一体感が生まれて、温かい雰囲気にほっこりとしました。

 

ここで頂いたのが、バスク地方の郷土料理として有名な『ピペラート(Pipérade)』。

玉ねぎとトマト、そしてバスク地方特産のパプリカだけで作ったラタトゥユに、

ピマン・デスペレッド(エスペレット村の唐辛子)という辛みも香りもまろやかな唐辛子パウダーをふり、

バイヨンヌ産生ハムをのせて、溶き卵を流して半熟に仕上げたものです。

野菜の優しい味わいと、柔らかいパプリカの香り、

ふわっと半熟に火を入れた卵の食感とまろやかさ、

そしてコクのある味わいの生ハムのアクセント。

異国の料理ながら、どこかホっと落ち着く味わいです。

サン・ジャン・ド・リュズの町についてはこちらから

 

バスク地方の郷土料理『ピペラート(Pipérade)』

 

皿を下げに来たパブロさん、皿に残ったイカ墨ソースを、その皿にのった私のスプーンでキレイにすくい上げ、さりげなく私の口に持ってきた。反射的に飲み込む。美味しい。こんな事、サラッとやってしまえるキャラがいい。

 

魚のスープも滋味でした。

 

 

ピマン・デスペレッド(エスペレット村の唐辛子)は、バスクの料理には欠かせないスパイスです。ワインやチーズのように AOC  (Appellation d’Origine Controlee) 表示があり、厳しい基準で、原産地の品質を守っています。

 

航海時代に南米からもたらされた唐辛子。雨が多く傾斜が多いエスプレット村の地形は、水はけがよい上に均一に太陽が当たるため、唐辛子を育てるのに適していたようです。 日本の唐辛子よりも大きくて立派なエスペレットの唐辛子は、こうして吊るされて売っています。 マイルドで爽やかな辛さを持ち、トマトや干し草に例えられることもあるという独特の香りが感じられます。

 

 

 

  •  4月 30, 2014
4月 292014
 
ボルドーの都市開発を考える

 

私にとっては、ある日突然、
新古典主義の建物が『水の鏡』に映し出される幻想的な写真を見て、
なんて美しいところだろうと一目惚れ。
それが、シャトーワインで有名なボルドーであると知り、
必ず行ってみようと決めました。たった一枚の写真の訴求力です。
いくら、ワインに興味があっても、なかなか赴こうとは思いません。
ところが数年前から急に気になりだした訳です。

多くのフランス人にとっても、
ボルドーは、車の排気ガスで汚れた暗い街というイメージがあり、
2000年代以降のまちの変化は、大きな驚きだったようです。

今回、実際にボルドーを訪れることができ、目の当たりにしたものは、
環境に配慮しながら、ここに暮らす人々、先端技術、水、緑、
そして18世紀の町並みが見事に調和した姿でした。

都市計画のパンフレットなど簡単なものを読んだ程度ですが、
感動すら覚える都市開発の哲学がそこにはあります。

ボルドーのユネスコ世界文化遺産登録(2007年)では、
都市開発が、歴史遺産の保全に矛盾しないという点が評価されたようです。

その立役者は、1995年にボルドー市長に就任したアラン・ジュペ氏。
彼は、ボルドー市の再生計画において、
住民参加型でかつ持続可能な社会を目指すプロジェクトをたくさん打ち立てました。
市は、住民のエコロジー教育と啓発に力を入れ、
例えば、エコロジー憲章の作成、ワークショップなどを通して、
車社会から路面電車活用へのシフト、植物園や花壇で過ごす楽しさなど、
ジュペ氏の目指すまちづくりが、市民の望む環境社会と調和することを目指しました。

社会学で参加民主主義の理論というものがありますが、
それは、人間が、参加を通じて成長し、より良い市民になることに着目しています。
まさにそんな感じで、市民参加が熟成していったのではないでしょうか?

歴史的街並みは、ファサードの洗浄・修復が行われ見事に再生。

都市空間を歩行者や自転車、公共空間に再配分するという理念に基づいて
ガロンヌ川岸の開発や自転車道の整備もなされました。

また、2003年に最新鋭の路面電車 LRT(Light Rail Transit) が開通
市内の中心部は車の乗り入れが制限され、この路面電車が市民の足となりました。

歴史的街並みや河川空間などの都市資源を生かして整備された公共空間は、
歩行者空間のみならず休暇空間、イベント開催空間として活用されています。

この公共空間は,多様な人が共存できる環境をつくり、文化を支える基盤となり、
文化育成のためのプロジェクトが盛んに行われるようになりました。

町に人が集まり、活気に満ちてくると
さらに人が集まり、成熟した文化が生れる。
ボルドーはそういう好循環に入っているように感じます。

 

ブルス広場の前、地面に2cm程張っている水面が鏡のように建物を映し出す「水の鏡」。水が引いた状態、水が張ってる状態、スモークが立ち籠めた状態の 3 パターンがコンピューター制御されてるとか…。

 

ナショナルジオグラフィックから写真を引用

 

常に車が渋滞する狭い車道に対してガロンヌ川沿いの遊歩道の広いこと!市民がゆったりと散歩する憩いの場を優先しています。

 

市内の中心部は、車の乗り入れが制限され、LRTが、市民の足となりました。

 

最新鋭 LRT は架線まで美しい。

  •  4月 29, 2014
4月 282014
 
色彩のバランスが素敵なバスク地方の町 サン・ジャン・ド・リュズ
Saint Jean de Luz

 

美しい海バスクを象徴する港町サン・ジャン・ド・リュズを訪ねました。
古くから漁業で栄えたフランス側バスク地方の町です。
くねくねとした細い路地が多く、
その路地には、カフェやレストランの椅子やテーブルが並んでいるのですが
このテーブルを覆うバスクリネンの明るく爽やかで元気なカラーがそれぞれセンス良く
白壁と赤と緑の鎧戸のバスク様式の街並ともマッチしていて素敵な町です。

 

昼食を頂いたレストラン『シェ・パブロ』についてはこちらから

 

白い壁に赤い鎧戸で統一されたバスク様式の街並み。

 

創業350年のマカロン専門店『メゾンアダム』。何故か、2階のファサードには、深紅の唐辛子が白壁を埋め尽くすように飾られています。

 

ルイ14世の成婚の際に献上されたと言われるマカロンは、今でも当時と同じレシピで作られいるそうです。

 

無駄のないシンプルなパッケージ

 

バレンシアのアーモンドと粉と砂糖を練り込んで、しっとりと焼き上げたもの。噛むとネチッと歯にとどまり、もっちりと口の中にアーモンドの風味が広がります。保存料・着色料一切なしです。

 

ルイ14世の結婚式が行われたサン・ジャン・バティスト教会  (Eglise St-Jean Baptiste) 。三層のバルコニーが特徴のバスク様式の教会です。荘厳さに木の温もりが加わり、ほっとするような優しさが感じられます。30年戦争を戦っていたブランスとスペインが、フランスの勝利によって講和を結び、スペイン王フェリペ4世の娘マリー・テレーズが、ルイ14世に嫁ぐことになったため、スペインとフランス両国の国境近くにあるこの町で婚礼が行われたようです。ヴェルサイユ宮殿を作ったこの王の趣味とはちょっと違っていますが、ご本人はどんな心持ちでこの婚礼に臨んだのでしょうか…。

 

バスクリネンは、17世紀頃に始まり、元々牛の日除け、虫除けに作られたものだそうです。 当時のものは麻製で、丈夫で破れにくいよう、しっかりと厚手に織られています。 また牛の背中を覆っていたため、かなり大判に作られています。 自分の牛を他人のものと区別するため、線の太さや色を変えて、それぞれの模様で判断していました。 7本の線が入っていることも多く、これはバスクが7つの地域の集合体であることを表しているそうです。 スペインの4州とフランスの3州の7州が、一つのバスクであるという民族意識が、「サスピアク・バット」(7つは1つ)というバスク・ナショナリズム運動のスローガンにもなっています。

 

 

 

1884年に設立された古いマルシェ。バスクならではの食材がびっしり詰まっています。

 

 

  •  4月 28, 2014
4月 262014
 
マックス・ボルドー・ワイン・ギャラリーなら10大シャトーを垂直、水平に試飲できる
Max Bordeaux Wine Gallery

ああ

大劇場の広場からすぐ、14 Cours de l’Intendance にある有料で試飲のできるワインショップ。ボトルで購入すると、とても高価な格付けワインを、グラスで気軽に試せるというコンセプトのお店です。いわゆる10大シャトーも、25mlで、20ユーロくらいから試せます。

 

『エノマティックマシーン』。予めの金額をチャージしたカードを入れて、好みのワインと分量を選び、ボタンを押すとワインが注がれる仕組み。ゆっくりと自分の好みのワインを探すことができます。食品用窒素を充填することで、ワインの酸化を防ぎ、それぞれのワインの持つ色、香り、味わいなどの特徴を、開栓後3週間、開けたてのように保つことができるそうです。

 

マルゴーは、2007(カベルネ・ソーヴィニョン75% メルロ20% カベルネ・フランとプティ・ヴェルド5%)と2008(カベルネ・ソーヴィニヨン87%、メルロー10%、カベルネ・フラン1.5%、プティ・ヴェルド1.5%)を試飲。まだまだ飲み頃ではないのでしょうが、雨が多かったという2008年にときめいてしまい、滞在中は、近くを通る度に、このワインを 25mlだけ試飲していました。本当は、グラスに並々と頂いてみたいものですが…。

 

シャトー オーブリオンも2007と2008。

 

 

パヴィヨン・ルージュ 2007

 

トロロン・モンド 2007

  •  4月 26, 2014

profile

 
 プロフィール

 

a天野 かおり

アパレルメーカーのマーチャンダイザーとして、商品開発、生産管理、輸入業務、販売促進、流通全般の現場を経験。

ミラノ駐在を経て、帰国後はイタリアン・レザーグッズメーカーの駐日代表として独立。

レップとしての業務から発展して、1996年、インターネットが普及する以前、

通販によりイタリアから日本の消費者へ直販するビジネスを立ち上げる。

その当時には全くなかったファッション雑誌のような通販カタログを製作し、

ダイナースクラブ、アメリカン・エキスプレス社などからカタログ売上N0.1 で表彰される。

同時にマーケティングコンサルタント、展示会やレセプションの企画運営を行いながら、

多数のイタリアファッションメーカーの日本市場参入を成功させる。

 

 2003年、家族の事情でオーストラリアのパースに移住。

18年間、走り続けた自分のキャリアを立ち止まって見つめ直す良い機会となる。

果てしなく広がる青い海と碧空、パースでの凪のような平穏な日々に心が癒される。

環境問題にも目覚め、できるだけサステイナブルな暮らしにシフト。

 

新しいキャリアを求めて、パースのインテリア専門学校で5年間、猛勉強の末、

Advanced Diploma Interior Designを取得。

卒業時にはCreative Industries “Best Graduates” – Interior Design に選ばれる。

日本には古来からあるサステイナブルな精神を現代の洋空間に体現したいと考えるようになる。

 

一旦帰国し、日本の一級建築士事務所で、

住空間、商業空間、学校などのプロジェクトにインテリアデザイナーとして携わる。

東北復興の集合住宅と複合施設プロジェクトのコンペにも参加。

フリーランスとしても、古い賃貸マンションを改修、『ホテル仕様のワンルームマンション』のコピーでブランディング。

狭いスペースながら機能的かつスタイリッシュなインテリアで入居率を劇的にアップさせる。

マンション改修のデフォルトデザインとして、現在までの施工件数は80件以上。

 

2013年、パースに戻り、現在のインテリアデザインオフィスを始める。

スビアコのヘアサロンのリノベーション

インペックス社応接室のインテリア・デコレーション

フリーマントルのタウンハウスのリノベーション

麹町マンションのリノベーション

新丸子新築一戸建住宅

イーストフリーマントル 新築一戸建住宅

バラグーンの住宅フロントヤードデザインなど

 

環境に優しいデザインを目指す。