5月 062014
 
ショパンとジョルジュ・サンドが暮らした修道院にて考えたこと

 

パリの社交界で道ならぬ恋に落ちたショパンとジョルジュ・サンド。
ショパンの結核療養と創作活動に相応しい場所を求めて、
マジョルカ島の山間の村ヴァルデモッサに辿り着きました。
1838年の12月、ショパンとサンドは、
中世に建てられたカルトゥハ修道院の
簡素な3つの僧房と庭を借り
彼女の2人の子供達と共に暮らし始めました。

ちょうど冬の雨季に入った島の気候と山間の不便な生活は
ショパンの病状を出発前より悪化させてしまい
また、異国の地から病気の愛人を同伴した不道徳なサンドに対する
保守的な村人たちの反感もあったようです。

この辛酸の日々が、二人の絆を強めました。
母のようにショパンを一生懸命看病するサンドの愛情。
そしてショパンの作品に対するサンドの進歩的で深い理解。
専門分野が違っても、審美眼が同じ域に達していたのでしょう。
それこそが彼の創作の大きな支えだったのだと思います。

この時に生まれた『雨だれ』は、
サンドの母のような愛情と
ショパンの破壊寸前のガラスのように繊細な神経が
ぶつかり合う響きのように感じます。

それにしてもジョルジュ・サンドという女性は、本当に魅力的な女性です。
閉塞的で保守的だった19世紀にあって新しい女、
気高く、自らの情熱としっかり向き合い、ペンをにぎり、恋多き女。
ドラクロワなどの第1級の芸術家や学者、ジャーナリストや政治家との親交。
彼らとの手紙のやり取りが書簡集となって出版されたり、
彼女の描く小説や評論は、新聞などに連載され、当時の民衆を虜にしたといいます。

スタンダールやドストエフスキーといった同時代人の作家仲間からも熱烈な支持を受けていて、
バルザックは、自分の小説に、サンドをモデルにした知性にあふれる女性作家を登場させているほどです。

それに対してショパンは、社交界では陽気で優しく魅力的だったけれども、
私生活では病人で、妄想にとらわれ、不安に打ち勝てず、
手に負えない男だったのではないかと思います。

それでもサンドは、ショパンという天才だけに生み出せるピアノの音の魔力に魅了され、
虜になり、その才にひざまずいた…。
その女心、わかります。

自分には達することのできないものを見た時の衝撃と尊敬の念が、
愛に変わったのではないでしょうか。

ショパンの死後のジョルジュ・サンドは、
田園をこよなく愛し、18世紀に建てられた故郷の館に隠棲し、執筆に専念。
フランスの最初の女性作家として72年の生涯を閉じ
この館の庭園で眠っているそうです。

余談ですが、彼女はこの館で、
召使いや料理人を雇えるような身分であったにもかかわらず
自ら台所に立ってシンプルな料理を作ることに喜びを覚えていたといいます。
時には客を招き、客は、庭でとれたフルーツや野菜、ジビエや森のきのこなどの彼女の料理に舌つづみをうったとか…。

サンドは、友人にあてた手紙で「コンフィチュール(ジャム)は
自分の手でつくらないといけないし、その間少しでも目を離してはいけません。
それは、一冊の本をつくるのと同じくらいの重大事なのです。」と書いています。

やっぱり魅力的です。

 

ショパンとサンドの暮らした部屋の中庭。

 

この中庭からは、糸杉とオリーブやレモンの木が連なる段々畑の景色が広がります。200年近く前に、同じ景色をショパンとサンドも眺めていたのかと思うと感慨無量です。

 

中庭の様子は、当時の絵画を参考に再現されています。

 

ヴァルデモッサ村。村中の至る所に鉢植えのお花が飾られていました。

 

 

  •  5月 6, 2014
11月 252012
 
久しぶりのスカラ座ボックス席  –  ワーグナーへの耐性

 

 

久しぶりにスカラ座のボックス席を予約して、『ジークフリード』を鑑賞。時差もあって、『ジークフリード』の延々と続く回想場面に持ちこたえられるか心配でしたが、眠りに落ちることなく、ラストの壮大な愛の二重唱を堪能することができました。最近は『ワーグナーへの耐性』が、上がってきているように感じます。

 

  •  11月 25, 2012