5月 052014
 
Museo De La Fundacion Joan Miro

 

寡黙なミロが、語った言葉が痺れます。
「私は大地からはじまり、ものを描くのです。
大地を踏みしめて描かなければならない。
力というものは足から入ってくるからだ。」

彼の大地はカタルーニャの土であり風土そのものです。
郷土を愛し、大地に深く根ざすことをつらぬいた芸術家、ミロ。

人とは、社会とは、国とは何か?
そして、そこに息づく命と、生きる歓びとは?
カタルーニャの大地や木々、風や星や雲の中にその答えを見出したミロ。

彼の評伝を読むと苦闘の日々が伝わってきます。
寡黙であり、真面目であるがゆえに、
感じたこと、見たものの本質から目を反らさず、
自身の内面と真摯に向き合い、もがき苦しんでいます。

そういう苦悩や悲しみの末に生まれた彼自身の精髄のような作品であるから、
私たちの魂を揺さぶるのだと思います。
ミロの精神の崇高さが作品の豊かさとなって
人々から愛されているのでしょう。

ミロのことが理解したくて、カタルーニャの歴史資料を読み、
頭の中を整理するために簡潔に年表にまとめてみました。
興味のある方はこちらからお読み下さい。

『美の旅人スペイン編』(伊集院静著)の中で、
ミロと詩人で美術評論家の瀧口修造の出会いと親交の部分が興味深く描かれていました。
瀧口修造は、ミロの才能を一早く発見し、
1940年、世界で最初に彼に関する論文を執筆刊行しています。
1966年、ミロが来日した際に銀座の南画廊で二人は初めて出逢い、
そこで瀧口が26年前に執筆した著書を渡し、
この本の発行日を知ったミロは、
10歳年下の無口な日本の詩人の肩を優しく抱いたと描かれています。
以来二人の友情は続き、ミロが再来日した折、二人は三日間ホテルに同宿して、
『手作り諺』という詩画集(7カ国語の本文にミロのリトグラが添えられた画期的な本)を合作したそうです。
その後もミロは瀧口の詩集のために何点かの作品を描き、『ミロの星とともに』を刊行。

そして、伊集院さんは、瀧口の詩集『曖昧な諺』の中の
「石は紅さして、千年答えず」という一節を紹介していました。
それに続く伊集院さんの文章が
「ミロもこの一節を読んでいたと想像する。大地は美しく寡黙であると。画家と詩人は見据えていたのではなかろうか。」

 

ミロの作品とヘミングウエイとの逸話も有名です。

ミロの作品『農園』を買い求めたヘミングウェイの言葉
「この絵は、スペインにいるときに感じているすべての要素が内包されており、
その一方でスペインを離れて、故郷に戻れないときに感じるものすべてがある。
誰もほかに、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」

“It has in it all that you feel about Spain when you are there and all that you feel when you are away and cannot go there.
No one else has been able to paint these two very opposing things.”

制作に9ヶ月も費やしたこの作品は、完成当初、不評でした。
ミロは、パリ の画廊を歩き回りましたが買手はつきません。
たまたま一日だけ、カフェに展示する機会を与えられ
そのたった一日の展示期間に、この作品に魅入られた人物がヘミングウェイ です。
しかし、当時のヘミングウェイには、お金がありません。
ヘミングウェイと彼の友人は、街を奔走し、友達から金を借り集めます。
なんとか支払い期日に間に合って、ヘミングウェイ はこの作品を手に入れたそうです。

 

 

ガウディやミロのカタルーニャ魂を考えるために年表を作りました

 

『農園』National Gallery of Art, Washington
左にある畑がきれいに耕されて、種まきの始まりを待ち構えている様子なので季節は春でしょう。犬は欠伸して、鶏の鳴声がこだまし、遠くの井戸では馬が水を汲み上げています。あちこちに散乱する農具。もうすぐ始る仕事の準備に追われている様子。人も動物も、勝手気侭に行動している様だけど、ある秩序が感じられます。この作品を観ていると、風の音や、動物達の声や、農作業に従事している物音が聴こえる様な気がします。それは、何故だか懐かしい物音で、農家の生活とは無縁のわたしでも、故郷に帰った様な錯覚を抱いてしまいます。

 

 

 

  •  5月 5, 2014

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