パースで日本酒
あ
パリで『AZABU』というレストランを営んでいる又従兄弟とボーヌで落ち合いました。
そして、彼女に連れて来てもらったのが『マ・キュイジーヌ』というビストロです。
ボーヌの中心から近い小道を入ったところにあります。
ワイン、お料理、雰囲気、お値段を併せて自分史上に残る満足度でした。
ワインリストは本当に涙もの。
フランスでは、ハーフボトルのチョイスが豊富なのが有り難いです。
奥様が郷土料理を作り、ソムリエの旦那様がお店を切り盛りするカジュアルな店です。
ブフ・ブルギニョン、リードボー、新鮮なアスパラ、
ルーミエさんのクロ・ドゥ・ラ・ブッシェール2009年。
2009年は暑かったので繊細さに欠けると云われましたが、私には、ふくよかで充分に繊細でした。
デゼールのフロマージ・ブランが、また絶品。
再来しても同じワインとお料理(あればですけど)を頼みたいです。
ボーヌを何度も訪れた訳ではありませんし
色々なレストランも知りませんが
ここを知っていればそれでいいと思いました。
ここから先は全く個人的な思い出話です。
私には、素敵な『パリのおばさま』がおりました。
父のいとこです。
詳しい人生は知りませんが
長年パリに住んで、すっかりフランス人のような容姿になっていて
流暢なフランス語で話す姿や西洋的な立ち振る舞いに憧れたものです。
30年くらい前の思い出ですが、
サン・ジェルマン・デ・プレに『TSUKIJI』という小さな寿司屋がありました。
当時は、パリに本格的な寿司屋などは他になかったと思います。
ドヌーブやモンタンが訪れるような特別な店で、
叔母は、そこで『マダム』とよばれ、店を切り盛りしていたのです。
私は、20代前半でミラノに住んでいて
週末に叔母の店を訪ねるのを楽しみにしていたものです。
一度だけ、店が開店する前に、一緒にオデオン界隈でランチを食べ、
あの辺りを散歩した思い出があります。
その時に頂いた魚スープの味に感激した、あの感覚は今でも鮮明に覚えています。
スープの味だけでなくて、レストランの雰囲気、サンローラン風の紫のスーツを着た格好いい叔母の隣にいること、
全てに高揚していたのだと思います。
その叔母は、何年も前に癌で亡くなりました。
パリの病院で癌が発見された時には、かなり進行してたようです。
50年以上も前にパリに行き、パリに恋をして、
そのままパリで人生の大半を過ごし、そこで人生の機微を味わった叔母が
最後はどうしても日本に帰りたいと言ったそうです。
もう、ボロボロの体になって帰ってきて
それでも、帰ってきてホッとして息を引きとったのでしょう。
もっと色々な話がしてみたかった…。今なら一緒に心の話ができるのに…。
こんな思い出話を書き留めておこうと思ったのは、
マ・キュイジーヌに連れて来てくれたのは、
この『パリのおばさま』の一人娘で私の又従兄弟。
一緒に遊んだ子供時代の思い出に盛り上がり
叔母と過ごした時間、叔母の人生をしみじみと感じたからです。
El Xampanyet