7月 142017
 
移動式二畳タタミ
清家清「斎藤助教授の家」

清家清「斎藤助教授の家」の原寸大模型を見るために

東京国立近代美術館の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展に行ってきました。

戦後の荒廃した日本。

否応なしにアメリカ文化が日本に押し寄せ、古き良き日本が失われてゆく。

そんな中、西洋の合理主義を取り入れつつ、

かつての日本文化を取り戻そうとした建築家。

それが清家清という建築家だと思います。

 

清家清「斎藤助教授の家」の原寸大模型。 格別複雑な仕組みがあるわけではないけれど 浮遊感が強調されていて独特の雰囲気があります。 空間をニーズに応じて「しつらえる」。 伝統的な日本文化の延長上にあるアイデンティティ。

 

 

  •  7月 14, 2017
4月 192017
 
茶の湯展 東京国立博物館

これを見逃したら生涯悔いが残ると思い日本に帰国しました。次から次へと心に響く名品が現れ、感動して胸が一杯。めまいがするほど素晴らしい展覧会でした。

 

唐物茶入の「利休尻膨」。 その名の通り利休所持の名物で、宋代のもの。利休のあと家康が入手し、関ヶ原の戦いに際して細川忠興に送られ、現在はそのまま永青文庫の所蔵とのこと。家康は忠興がこの茶入を死ぬほど欲しがっていたのを知っていたのでしょう。

 

三井美術館で出会った時には、感動して動けなくなった「長次郎 黒楽茶碗 俊寛」。腰の張ったこの姿が美しい。黒釉の鈍い光を帯びた肌に「触れてみたい!」という欲念が掻き立てられます。

 

唐物茶碗 曜変天目(稲葉天目)は、世界で三椀のみとのこと。足利将軍家、徳川家、岩崎家へと伝わったとか。銀河系宇宙を彷彿させる内側の景色は、偶然の賜物。

 

1570年代の初代長次郎から現代当主15代吉左衛門までの径路を辿る展覧会。450年近く、それぞれの時代の当主が一子相伝の中、独自性を追求しようとする情熱は感じますが…。奇をてらったものは、なかなか心を打ちません。


  •  4月 19, 2017
10月 302016
 
直島 護王神社 – ア プロプリエト プロポーション 杉本博司

 

不思議なプロポーションに首を傾げ、後日調べて納得し、下調べをしてから訪れたかっと後悔!

「護王神社は足利時代に起源をもつ。近年建物の老朽化が進み、修復が待たれていたが<直島・家プロジェクト>のひとつとして再建されることになり、アーティストとして私が指名された。設計にあたっては、規正の神社建築の形式にとらわれず、日本人の古代の神への信仰がどのようなものであったのかを想像上で再現するという形をとった。」杉本博司著

 

工学ガラスの光の階段

 

 

写真は杉本さんのサイトより引用 ア プロプリエト プロポーションとは、「神域にふさわしい比率」のこと。神社の拝殿は、伊勢神宮の中でも一番古い形式が残っている瀧原宮の比率をもとにしているそうです。

 

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。 隧道からの眺め。「石室内部へは山腹から隧道を堀り、コンクリート製の通路をもうけた。この神社を訪れる人はまず地上部の磐座と本殿を拝み、その後コンクリートのトンネルを通って古代の石室を垣間見る。そして現代へと戻る途路、隧道の間に古代から連綿とたたえられて来た海を望むことができる。」

 

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。石室内部。7世紀に神明造りという神社建築の様式が成立する以前はアニミズム的な自然界の中にある特殊な質をもつ「力の場」が、聖なる場として崇められていたと思われる。その「力の場」は時に巨木であったり、滝であったり、巨石であったりした。日本の神は一所不在とされ、神は人間によって掃き清められたこのような「力の場」に降臨すると考えられた。 護王神社の構想はまず、この神の依代となる巨石の探索から始められた。(中略)この石の下にはあらかじめ古墳を思わせる地下室が作られ、地上の神殿部と地下室が工学ガラスを原石のまま割り切った光の階段で結ばれることになった。この階段は巨石によって地上部と地下部が分離され、光のみが天井と地下を繋ぐことになった。

 

 

  •  10月 30, 2016
7月 052015
 
「線を聴く」展 
LISTENING TO THE LINES 
銀座メゾンエルメス フォーラムにて

 

シンプルな「線」を考察す「線を聴く」展は、シンプルなかたち展に呼応する形で開催されていますが、

ここで私が魅了されたのは、ロジェ カイヨワ のストーンコレクション(フランス国立自然史博物館蔵)。カイヨワ という人の存在を知らずに50年以上も生きてしまいましたが、フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者とのこと。さっそく著書の『石が書く』を読んでみたいと思います。

作品は、瑪瑙や大理石の切断面を研磨したものですが、何万年もの時を経て、様々な鉱物を含み年輪を刻んだ切断面の模様や色彩は、自然にゆだねられた偶然の造形美です。何万年の時の流れを内に秘めているから人を惹きつけるのでしょうか?

 

『あちこちに石がみずから書き残したしるしは、

それにこだまを返す他のしるしの探索と精神を誘う。
私はこうしたしるしの前に佇み、みつめ、記述する。
そのとき、遊びがはじまる、

発明であると同時に認識でもある遊びが。』

ロジェ カイヨワ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  7月 5, 2015
7月 052015
 
シンプルなかたち展:美はどこからくるのか

 

考古学的な作品から現代アートまで「シンプルなモノ」が、ジャンルを超え、時空を超えて集結するというのですから、行かないわけにはいきません。最終日になんとか間に合い行ってきました。

「とても官能的でエレガントな展示となった」

キュレーターである森美術館館長、南條史生氏はこう評したといいます。

森美術館、フランスのポンピドゥー センター メスとエルメス財団の共同企画で、ジャンド ロワジーがキュレーションした展示に、李朝の白磁壺(青山次郎所有)、仙厓の円相図、円空仏、長次郎の黒樂茶碗、東大寺二月堂の根来日の丸盆など日本独自の展示が加わっています。

入室するとまず、コルビュジェが浜辺で拾った石のコレクション(ぺリアンの集めたものもありました)。ただの拾ってきた石なのですが、何時間でもそこで対話ができるほど、たくさん語りかけてきます。

「昨今のコンセプト重視の現代アートに対し、感性で見る展覧会だ。」という南條氏のコメントの通り、虚心坦懐、心が感じる様子を別の私が観察しているような感じでしょうか。それは、官能的ともいえます。すべての作品や展示方法が洗練されていてエレガントであるのは、言うまでもありません。

私の中でのエレガントの極みは、李朝の白磁壺。それはそれは鳥肌が立つほど美しかったです。

それから、生涯を通じて、『シンプルなかたち』を追求したブランクーシの彫刻もやっぱり心を打ちました。

 

 

ピカソの「牡牛」の連作。牡牛が写実的なものから、どんどん単純化され幾何学化していく。最後のシンプルな線のみで描かれた牡牛が心を打ちます。単純化するということは、情報をそぎ落として大切なものだけ残すこと。すなわち、本質をつかむこと。

「シンプル > 普遍的な美 > 本質」そんな図式でしょうか?

シンプルが何かの本質を捉えていなければ、人の心は打たないし、普遍性も持たない、そんなことを考えながら、仙厓や長次郎を思いました。

ところで、この展示の素敵なところは、最後にスティーブ・ジョブズのデザイン哲学と関連づけているところ。スティーヴ・ジョブズは「シンプルになればなるほど美しさが増す。」というデザイン哲学を語るために、この連作を用いていたそうです。

 

 

 

セクション4「力学的なかたち」

大巻伸嗣のリミナル・エアー スペース・タイム

透明な布が、床からの送風機により、一定時間、宙に舞い、その変化し続ける形を鑑賞します。一切の装飾を排除した簡素な仕掛けですが、床に着地しては、舞い上がる柔らかな布の動きを何度も何度も、随分と長い時間、無心で眺めていました。背景の窓からの採光が刻々と変化することを考えると開館から閉館までずっとこの作品の前に居座りたくなってしまいます。

 

 

 

 

  •  7月 5, 2015
5月 102014
 
ヴァン・ゴッホとアルトー オルセー美術館 特別展

 

オルセー美術館の特別展は、アントナン・アルトー(Antonin Artaud)の理論と視線を通してのゴッホ展。

アルトーは、たびたび襲う精神病に苦しみながらも創作活動を続けたフランスの劇作家,詩人,俳優。

「9年も精神病棟に収容されていた君なら理解できるはずだ。」と頼まれて、

1947年のゴッホ回顧展のテキストを献呈しています。

「ゴッホは狂人ではない。彼の作品、メッセージ、世界観を拒否した社会こそが、彼を自殺へと追いやったのだ」と。

素晴らしい特別展に出会えた幸運に感謝です。

この特別展では、『ローヌ川の星月夜』の黄色く川に反射する街燈の光の眩しさに驚かされました。

初めて見た訳ではないと思うのですが、もしかしたら改装された壁の色や照明の効果によるものだったのでしょうか?!

 

  •  5月 10, 2014
5月 032014
 
Museo Guggenheim Bilbao

 

 

フランク・ゲーリーらしい曲線。圧倒的な存在感の造形が、周辺の公共空間と調和しながら泰然と鎮座しています。美術館には、年間100万人が訪れ、莫大な建設費は3年で回収したとか…。

 

幾重にも重なるチタンの局面が光を反射して美しいグラデーションを作っています。また、建物全体の緩やかな曲線と呼応するかのように川沿いの遊歩道も湾曲していて一体感があります。さらに、この遊歩道の湾曲によって、ネルビオン川も同じ曲線を持っているかのように見せています。

 

ライトアップが素敵な夜の遊歩道

 

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといます。

 

先に見える高層ビルは、この都市再生マスタープランを担当したシーザー・ペリの作品。

 

空にニョロニョロと伸びてゆく感じ。

 

エルネスト・ネト (Ernesto Neto)の展示室。伸縮性と透過性に優れた布地を用いた有機的な形態のインスタレーション。 解説によると、 「感覚は次第に解き放たれていき、 まるで胎内にいるような安らぎに包み込まれる」 とのこと。 ネットの中に自然な香料が入っていて それがまたこの空間にぴったりの安らぎの香り。

 

ヨーコ・オノの「願いの木」 。ネトの展示室も ヨーコの「願いの木」も どちらも参加を誘うアート。 人々が参加して、 見事にアートに溶け込んでいます。後ろの巨大な鍾乳洞みたいなインスタレーションは、エルネスト・ネトのもの。

 

沢山の自然光が入り、開放感のある吹き抜けエリア。この空間の特製を最大限に活かしたネトによるインスタレーション。巨大なオブジェにも、やはり安らぎに包まれた感覚があります。

 

  •  5月 3, 2014
4月 152013
 
アンディー ウォーホール展 – ミラノ20世紀美術館
Andy Warhol’s Stardast – Museo Del Novecento

 

私は、人に年齢を知られないためにグレイヘアーにすることにした。それに、いつでも人が思うよりも若く見えるだろうから。

 

 

 

  •  4月 15, 2013