移動式二畳タタミ
清家清「斎藤助教授の家」
あ
清家清「斎藤助教授の家」の原寸大模型を見るために
東京国立近代美術館の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展に行ってきました。
戦後の荒廃した日本。
否応なしにアメリカ文化が日本に押し寄せ、古き良き日本が失われてゆく。
そんな中、西洋の合理主義を取り入れつつ、
かつての日本文化を取り戻そうとした建築家。
それが清家清という建築家だと思います。
あ
清家清「斎藤助教授の家」の原寸大模型を見るために
東京国立近代美術館の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展に行ってきました。
戦後の荒廃した日本。
否応なしにアメリカ文化が日本に押し寄せ、古き良き日本が失われてゆく。
そんな中、西洋の合理主義を取り入れつつ、
かつての日本文化を取り戻そうとした建築家。
それが清家清という建築家だと思います。
不思議なプロポーションに首を傾げ、後日調べて納得し、下調べをしてから訪れたかっと後悔!
「護王神社は足利時代に起源をもつ。近年建物の老朽化が進み、修復が待たれていたが<直島・家プロジェクト>のひとつとして再建されることになり、アーティストとして私が指名された。設計にあたっては、規正の神社建築の形式にとらわれず、日本人の古代の神への信仰がどのようなものであったのかを想像上で再現するという形をとった。」杉本博司著
シンプルな「線」を考察す「線を聴く」展は、シンプルなかたち展に呼応する形で開催されていますが、
ここで私が魅了されたのは、ロジェ カイヨワ のストーンコレクション(フランス国立自然史博物館蔵)。カイヨワ という人の存在を知らずに50年以上も生きてしまいましたが、フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者とのこと。さっそく著書の『石が書く』を読んでみたいと思います。
作品は、瑪瑙や大理石の切断面を研磨したものですが、何万年もの時を経て、様々な鉱物を含み年輪を刻んだ切断面の模様や色彩は、自然にゆだねられた偶然の造形美です。何万年の時の流れを内に秘めているから人を惹きつけるのでしょうか?
『あちこちに石がみずから書き残したしるしは、
それにこだまを返す他のしるしの探索と精神を誘う。
私はこうしたしるしの前に佇み、みつめ、記述する。
そのとき、遊びがはじまる、
発明であると同時に認識でもある遊びが。』
ロジェ カイヨワ
考古学的な作品から現代アートまで「シンプルなモノ」が、ジャンルを超え、時空を超えて集結するというのですから、行かないわけにはいきません。最終日になんとか間に合い行ってきました。
「とても官能的でエレガントな展示となった」
キュレーターである森美術館館長、南條史生氏はこう評したといいます。
森美術館、フランスのポンピドゥー センター メスとエルメス財団の共同企画で、ジャンド ロワジーがキュレーションした展示に、李朝の白磁壺(青山次郎所有)、仙厓の円相図、円空仏、長次郎の黒樂茶碗、東大寺二月堂の根来日の丸盆など日本独自の展示が加わっています。
入室するとまず、コルビュジェが浜辺で拾った石のコレクション(ぺリアンの集めたものもありました)。ただの拾ってきた石なのですが、何時間でもそこで対話ができるほど、たくさん語りかけてきます。
「昨今のコンセプト重視の現代アートに対し、感性で見る展覧会だ。」という南條氏のコメントの通り、虚心坦懐、心が感じる様子を別の私が観察しているような感じでしょうか。それは、官能的ともいえます。すべての作品や展示方法が洗練されていてエレガントであるのは、言うまでもありません。
私の中でのエレガントの極みは、李朝の白磁壺。それはそれは鳥肌が立つほど美しかったです。
それから、生涯を通じて、『シンプルなかたち』を追求したブランクーシの彫刻もやっぱり心を打ちました。
ピカソの「牡牛」の連作。牡牛が写実的なものから、どんどん単純化され幾何学化していく。最後のシンプルな線のみで描かれた牡牛が心を打ちます。単純化するということは、情報をそぎ落として大切なものだけ残すこと。すなわち、本質をつかむこと。
「シンプル > 普遍的な美 > 本質」そんな図式でしょうか?
シンプルが何かの本質を捉えていなければ、人の心は打たないし、普遍性も持たない、そんなことを考えながら、仙厓や長次郎を思いました。
ところで、この展示の素敵なところは、最後にスティーブ・ジョブズのデザイン哲学と関連づけているところ。スティーヴ・ジョブズは「シンプルになればなるほど美しさが増す。」というデザイン哲学を語るために、この連作を用いていたそうです。
セクション4「力学的なかたち」
大巻伸嗣のリミナル・エアー スペース・タイム
透明な布が、床からの送風機により、一定時間、宙に舞い、その変化し続ける形を鑑賞します。一切の装飾を排除した簡素な仕掛けですが、床に着地しては、舞い上がる柔らかな布の動きを何度も何度も、随分と長い時間、無心で眺めていました。背景の窓からの採光が刻々と変化することを考えると開館から閉館までずっとこの作品の前に居座りたくなってしまいます。
オルセー美術館の特別展は、アントナン・アルトー(Antonin Artaud)の理論と視線を通してのゴッホ展。
アルトーは、たびたび襲う精神病に苦しみながらも創作活動を続けたフランスの劇作家,詩人,俳優。
「9年も精神病棟に収容されていた君なら理解できるはずだ。」と頼まれて、
1947年のゴッホ回顧展のテキストを献呈しています。
「ゴッホは狂人ではない。彼の作品、メッセージ、世界観を拒否した社会こそが、彼を自殺へと追いやったのだ」と。
素晴らしい特別展に出会えた幸運に感謝です。
この特別展では、『ローヌ川の星月夜』の黄色く川に反射する街燈の光の眩しさに驚かされました。
初めて見た訳ではないと思うのですが、もしかしたら改装された壁の色や照明の効果によるものだったのでしょうか?!