イースターのホットクロスバンズ
ピルピルを化学する- ビルバオ
ビルバオのピルピル専門店、Urbietaで頂いた塩鱈のピルピル (Bacalao al Pil Pil) が美味しくて、
その後、ずっとピルピルの乳化について気になっていました。
最近、乳化に関する文章を読んだので、
ピルピル作りのプロセスを化学的な視点からみて失敗しないコツを考えてみました。
作り方
塩ダラを1日以上かけて、水を何度も換えて塩抜きしておく。
カスエラ(CAZUELA)と呼ばれる浅い土鍋に干しダラ、オリーブオイル、ニンニク、赤唐辛子を入れ、
極弱火にかけ、鍋を円を描くように回し続ける。
せわしなく回し続ける必要はなく、ゆったとした心構えで一定のリズムで回し続ける。
そのうち、鍋からピルピルと小さな音が聞こえ始め、
オリーブオイルが徐々に乳化し白っぽくなり始める。
この段階に至るまで約10分ぐらい。それまでひたすら鍋を回し続ける。
干しダラはどこかで一度ひっくり返して全体に火を通す。
オイルが完全に乳化してクリーム状のどろっとした状態になったら完成。ここまで約20分程度。
簡単そうですが、いざトライしてもそう簡単にオイルは乳化しないのです。
シンプルな料裡ほど奥が深く、マニュアル化できないというのも確かです。
そこで、ピルピル作りのプロセスを化学的な視点からみてみると
干しダラをオイルに入れて熱を加えることにより、
干しダラに含まれているタンパク質の一種であるコラーゲンが加熱によってゼラチンに変性して旨みといっしょに溶け出し、
タンパク質の持っている乳化作用と鍋を回すことによる攪拌とにより
オイルと水分が混ざり合って白っぽいドロッとしたエマルション(乳濁液)が作り出されます。
乳化作用とは、いわゆる界面活性作用のことで、
せっけんが油汚れを吸着して洗浄効果を発揮するのと同じ作用。
料理でいうと卵黄と油を攪拌するマヨネーズやパスタのゆで汁を入れてパスタソースを乳化させる原理と同じです。
マヨネーズの場合は、卵黄に含まれるレシチンが、パスタソースの場合はゆで汁に含まれるサポニンという物質が界面活性剤として作用して
油の分子を親水性の分子で覆って、水分に親和させ、水と油が混ざりあったエマルション(乳濁液)を作り出す…。とのことです。
つまり、コラーゲンがゼラチンに変性して溶け出すには一定に時間が必要なので、
カスエラ(鍋)を火にかけてしばらくはまったく動きがなく、乳化するのか心配になりますが、
忍の一字で一定間隔でフライパンを回し続けることが肝要のようです。
また、干しダラとオリーブオイルの量のバランスも大切です。
干しダラの量にもよりますがあまり大きな器を使ってオイルの量が多すぎるとうまく乳化しない場合があります。
逆にさらっとしたソースにしたい場合は、オリーブオイルが乳化し始めてからミネラルウォーターを少しずつ加えて攪拌してもいいそうです。
魚のコラーゲンは人の体温よりも低い温度で変性するので、油の温度は40℃程度。
フライパンなど熱伝導の良い器具を使う場合は、時々火から外して温度があまり高くならないようにする工夫が必要です。
こんなことが頭の片隅にあると、絶品ピルピルが作れるかもしれません!
旅行に行くとき、私にとって
何を何処で食べるかは、最大の問題です。
現地で暮らす人などのアドバイスをかき集め
綿密かつベストの食事計画を立てます。
旅先で、それに振り回されたとしても、
不味いものを食べる羽目になるよりは、計画優先です。
計画は、事前に調べた店や現地で見つけた店。
現地で、混雑している店や行列などを見ると、
どんな美味しいものがあるのだろうかとワクワクしてしまいます。
そんな私でも、時には、適当な時があります。
マジョルカ島がそれでした。
父の希望で行くことになりましたが
特に興味もなかったのです。
食事のことも考えていませんでした。
たまたま訪れた美術館の人に「この後、軽くランチがしたいんだけど…。」
軽い気持ちで尋ねると、町の中心の海沿いにあるレストランを教えてくれました。
混雑した店でしたが、なんの期待もなく淡々と注文を済ませました。
前菜のマテ貝とエビのカルパッチョが、殊の外美味しく。あれっ!と…。
そして、メインに頼んだ『イカ墨のスパゲッティ』を口にし、また、あれっ!と…。
モチモチした触感でイカ墨のコクが凝縮された麺、かすかな塩加減。
ニンニクもハーブも使われていないシンプルなトマトソース。
トマト自体の酸味と甘みのバランスがとても良くて。
食べれば食べるほどに、もう美味しくて、美味しくて…。
時に、期待に胸を弾ませて、3つ星レストランに行くこともあります。
素敵な高揚感を味わったり、確かに美味しくて感激することもあります。
でも、この『イカ墨スパゲティ』の感動は、
もっと深くて、心の奥からの純粋なもの。
思いがけない感動こそ、ずっと心に残る旅の醍醐味。
計画の立て過ぎは考えものなのかもしれません。
レストランのサイトへはこちらから
サンセバスチャンに滞在中、昼間は、近郊の村を訪れたり、星付きレストランでランチをしたり、
いわゆる観光を楽しみますが、どこか、落ち着いてゆっくりできないところがあるのです。
結局、早めに宿に戻って、シャワーをして、少し休んで…。
夕方になると、いそいそとバル巡りにくりだすわけです。
基本的には、食事は座ってゆっくりと愉しみたいと思いますが
せっかくサンセバに来ている訳ですから…。
これが、結構楽しくて、美味しくて、
3日目くらいからは、堂に入った立ち振る舞いになり、
余裕で店内の様子を眺めながら、隣の人に気の利いたことが言えるようになります。
それにしても、サンセバの旧市街には、本当に沢山のバルがあります。
その中で、良かった店、美味しかったお料理などアップします。
パリで『AZABU』というレストランを営んでいる又従兄弟とボーヌで落ち合いました。
そして、彼女に連れて来てもらったのが『マ・キュイジーヌ』というビストロです。
ボーヌの中心から近い小道を入ったところにあります。
ワイン、お料理、雰囲気、お値段を併せて自分史上に残る満足度でした。
ワインリストは本当に涙もの。
フランスでは、ハーフボトルのチョイスが豊富なのが有り難いです。
奥様が郷土料理を作り、ソムリエの旦那様がお店を切り盛りするカジュアルな店です。
ブフ・ブルギニョン、リードボー、新鮮なアスパラ、
ルーミエさんのクロ・ドゥ・ラ・ブッシェール2009年。
2009年は暑かったので繊細さに欠けると云われましたが、私には、ふくよかで充分に繊細でした。
デゼールのフロマージ・ブランが、また絶品。
再来しても同じワインとお料理(あればですけど)を頼みたいです。
ボーヌを何度も訪れた訳ではありませんし
色々なレストランも知りませんが
ここを知っていればそれでいいと思いました。
ここから先は全く個人的な思い出話です。
私には、素敵な『パリのおばさま』がおりました。
父のいとこです。
詳しい人生は知りませんが
長年パリに住んで、すっかりフランス人のような容姿になっていて
流暢なフランス語で話す姿や西洋的な立ち振る舞いに憧れたものです。
30年くらい前の思い出ですが、
サン・ジェルマン・デ・プレに『TSUKIJI』という小さな寿司屋がありました。
当時は、パリに本格的な寿司屋などは他になかったと思います。
ドヌーブやモンタンが訪れるような特別な店で、
叔母は、そこで『マダム』とよばれ、店を切り盛りしていたのです。
私は、20代前半でミラノに住んでいて
週末に叔母の店を訪ねるのを楽しみにしていたものです。
一度だけ、店が開店する前に、一緒にオデオン界隈でランチを食べ、
あの辺りを散歩した思い出があります。
その時に頂いた魚スープの味に感激した、あの感覚は今でも鮮明に覚えています。
スープの味だけでなくて、レストランの雰囲気、サンローラン風の紫のスーツを着た格好いい叔母の隣にいること、
全てに高揚していたのだと思います。
その叔母は、何年も前に癌で亡くなりました。
パリの病院で癌が発見された時には、かなり進行してたようです。
50年以上も前にパリに行き、パリに恋をして、
そのままパリで人生の大半を過ごし、そこで人生の機微を味わった叔母が
最後はどうしても日本に帰りたいと言ったそうです。
もう、ボロボロの体になって帰ってきて
それでも、帰ってきてホッとして息を引きとったのでしょう。
もっと色々な話がしてみたかった…。今なら一緒に心の話ができるのに…。
こんな思い出話を書き留めておこうと思ったのは、
マ・キュイジーヌに連れて来てくれたのは、
この『パリのおばさま』の一人娘で私の又従兄弟。
一緒に遊んだ子供時代の思い出に盛り上がり
叔母と過ごした時間、叔母の人生をしみじみと感じたからです。
世界の美食家が足繫く通うと言われる炭火焼きで有名なレストランです。
この前夜にホテルのロビーで話をした美食家と思われるアメリカ人も、
仕事は忙しいが、時間が少しでもあるとエチュバリが目的でビルバオまで飛んできてしまうと話していました。
ソースは使わず、食材を大事に丁寧に扱い、その魅力をしっかりと引き出した料理を提供してくれる素晴らしいレストランです。
普段コースの料理を全てアップすることはありませんが、割愛できるものがありませんでした。