7月 142017
 
移動式二畳タタミ
清家清「斎藤助教授の家」

清家清「斎藤助教授の家」の原寸大模型を見るために

東京国立近代美術館の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展に行ってきました。

戦後の荒廃した日本。

否応なしにアメリカ文化が日本に押し寄せ、古き良き日本が失われてゆく。

そんな中、西洋の合理主義を取り入れつつ、

かつての日本文化を取り戻そうとした建築家。

それが清家清という建築家だと思います。

 

清家清「斎藤助教授の家」の原寸大模型。 格別複雑な仕組みがあるわけではないけれど 浮遊感が強調されていて独特の雰囲気があります。 空間をニーズに応じて「しつらえる」。 伝統的な日本文化の延長上にあるアイデンティティ。

 

 

  •  7月 14, 2017
10月 302016
 
直島 護王神社 – ア プロプリエト プロポーション 杉本博司

 

不思議なプロポーションに首を傾げ、後日調べて納得し、下調べをしてから訪れたかっと後悔!

「護王神社は足利時代に起源をもつ。近年建物の老朽化が進み、修復が待たれていたが<直島・家プロジェクト>のひとつとして再建されることになり、アーティストとして私が指名された。設計にあたっては、規正の神社建築の形式にとらわれず、日本人の古代の神への信仰がどのようなものであったのかを想像上で再現するという形をとった。」杉本博司著

 

工学ガラスの光の階段

 

 

写真は杉本さんのサイトより引用 ア プロプリエト プロポーションとは、「神域にふさわしい比率」のこと。神社の拝殿は、伊勢神宮の中でも一番古い形式が残っている瀧原宮の比率をもとにしているそうです。

 

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。 隧道からの眺め。「石室内部へは山腹から隧道を堀り、コンクリート製の通路をもうけた。この神社を訪れる人はまず地上部の磐座と本殿を拝み、その後コンクリートのトンネルを通って古代の石室を垣間見る。そして現代へと戻る途路、隧道の間に古代から連綿とたたえられて来た海を望むことができる。」

 

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。石室内部。7世紀に神明造りという神社建築の様式が成立する以前はアニミズム的な自然界の中にある特殊な質をもつ「力の場」が、聖なる場として崇められていたと思われる。その「力の場」は時に巨木であったり、滝であったり、巨石であったりした。日本の神は一所不在とされ、神は人間によって掃き清められたこのような「力の場」に降臨すると考えられた。 護王神社の構想はまず、この神の依代となる巨石の探索から始められた。(中略)この石の下にはあらかじめ古墳を思わせる地下室が作られ、地上の神殿部と地下室が工学ガラスを原石のまま割り切った光の階段で結ばれることになった。この階段は巨石によって地上部と地下部が分離され、光のみが天井と地下を繋ぐことになった。

 

 

  •  10月 30, 2016
10月 302016
 
広島折り鶴タワーの展望台 – ひろしまの丘

 

原爆ドームから近いところにできた折り鶴タワーへ行きました。散歩道と呼ばれる半屋外のスパイラルスロープを屋上まで上ると、息を吞みました。囲う壁がなく、木製の床、柱、庇のみの温もりのある空間。よく見ると安全対策のメッシュがありますが気になりません。鏡もうまく使って空間に広がりを持たせていました。 「ひろしまの丘」という名の通り、こんもりとした丘から街を見渡せるように勾配があり、勾配のステップ部分には、良い塩梅で腰掛けられるようになっています。 風を強く感じることが、コンセプトとのこと。

 

 

 

 

 

展望台からは、原爆ドームを上から眺めることができます。

 

散歩道と呼ばれる半屋外のスパイラルスロープ

 

  •  10月 30, 2016
10月 272016
 
杉本博司「タイム・エクスポーズド」
直島ベネッセハウス ミュージアムレストランからの眺め

 

直島ベネッセハウス ミュージアムを訪れた時、バスキアの絵の前で、魂の叫びのようなものに打ちのめされ、少し休もうと、すく横にあったレストランの入り口を入りました。すると、コンクリートの壁で縁取りされた瀬戸内海の景色がハッと目に入り、なんだか心が晴れやかに切り替わりました。

 

杉本博司による世界各地の海と空の濃淡を撮影した水平線の連作が、屋外の海に面したコンクリート壁に展示され、目の前に広がる瀬戸内海の果ての水平線と呼応しています。

 

計算され尽くしたレストランからの眺め

 

  •  10月 27, 2016
5月 172014
 
チュイルリー公園 – 緑の椅子たちの存在感
Palais des Tuileries

 

 

とにかく、至る所にこの椅子が無造作に置かれ、公園内の樹木の緑に溶け込んでいます。

 

背もたれの角度は 2種類。

 

雨模様のお天気の中でしたが、雨が止んだ一瞬の間にもこの椅子に腰かける人々。

 

噴水の周りを囲むように置かれた椅子に座る人々。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  5月 17, 2014
5月 172014
 
新生オルセーで腰かけられるところ – 徳仁の『Water block』他
Musee d’Orsay

 

どうしても休憩スペースや椅子に注目してしまう…これは私のどうしようもない習性でございます。今回は、単なる休憩目的ではなくアートとしてのベンチ、徳仁の『Water block』を鑑賞(に座る?)することが、最大の来訪目的でしたので、『腰かけられることろ』として、ここにまとめて書いておこうと思います。

 

以下の写真4枚は、Excite ism – オルセー美術館に吉岡徳仁「Water block」2011.10. 28 より使わせて頂きました。

 

床は暗い色のフローリング、壁もブルーグレー系の暗い色を採用していて、以前の全体的に白っぽくぼやけた雰囲気から刷新されました。この壁の色の選択には感服いたします。絵画の色彩が際立つだけでなく、洗練されていて、同時に空間そのものに居心地の良さを与える気がします。また、シェードを通しての採光が素晴らしいです。(*これは最先端技術のスポットライトで、自然光を再現しているそうです。)

 

暗いフローリングに、暗いブルーグレーの壁。そこに、この『Water block』の透明感が、入ることで、絶妙なるバランスが完成します。徳仁のインタビューから「今回、オルセー美術館のリニューアルに際し、マネやドガ、モネ、セザンヌ、ルノワールに代表される印象派が展示されるギャラリーに、このガラスのベンチを展示することを考えました。この《Water block》は、プラチナのモールドの特殊な技術から生み出され、まるで水の塊の彫刻のように光が屈折し、透明で力強い造形が現れる作品です。まるでモネの《睡蓮》に描かれている水面のように波だったベンチの表面は、印象派の描いた光に包み込まれ、歴史と現代の美しい対話が始まる空間をつくり出すのではないでしょうか。』

 

「わたしは、透明でありながら光の屈折によって、強いオーラを放つものをつくりたいとずっと思っていました。ガラスが固まる瞬間に生まれる偶然の美しさ。それは、水がつくり出す美しい波紋やきらめきを連想させる、自然が生み出す無秩序な美の表現でもあります。』(吉岡徳仁)

 

フランソワ・ポンポンのシロクマを眺められるカウンター席のある Cafe de l’Ours(熊のカフェ)。シロクマの臀部を眺めながら美術館の資料を読んだりするのも良し。カフェの照明とシロクマのバランスも素晴らし!

 

時計台の裏の休憩スペース。混雑していて、椅子の写真が撮れなかったので、美術館のサイトから引用。

 

逆光で時計と人々の影が絵のように見えるこの風景は、まるで昔にタイムスリップしたかのようです。フカフカのこの椅子にすっぽりと納まって静かに寛ぎたいところですが…、この騒ぎ。

 

セーヌ川の向こうの丘にサクレクール寺院が見えます。

 

ほぼ美術館の全長に延びるベンチ。人々が思い思いに休憩しています。手前の人、奥様の膝で完全に眠っています。

 

カンパナ兄弟がデザインした「カフェ・カンパナ」でランチを頂きましたが、味も居心地もあまりお勧めできません。このインテリアを初めて雑誌で見た時には、なんて素敵なんだろうと心が躍り、絶対に行きたいと思ったのですが…。写真映りの良いデザインなのでしょう。

 

やっぱり、写真写りが良い。

 

吹き抜け部分に点在する彫刻、ちいさく見える訪問客。この開放感。そして、所々に設けられたベンチの納め方がうまい。

 

1986年の美術館としての開館以来、特に多くの来場者が、5階奥に混在していた印象派とゴッホを見に来るので、そこに混雑が集中。そんな鑑賞者の動線を最適化する必要性などから、2009に大改修に入り、2011年に再オープンされたとのこと。つまり、大改修の大きなポイントは、印象派のギャラリーとゴッホ、ゴーギャンなどポスト印象派のギャラリーをフロアーを変えて分けた点です。確かに、今回、ゴッホとゴーギャンが、対峙するように展示されているのが良かったです。

オルセー駅舎、1900年から2011年までの歴史を美しい写真を通して知ることができる素晴らしいサイトは、ここから

  •  5月 17, 2014
5月 132014
 
『ルーブル・ランス』の曖昧で幻想的な佇まいに魅了されて

 

地域再生の起爆剤
パリ北駅からTGVで1時間程度、ランスにできたSANAAが設計したルーブル美術館別館に行ってきました。ランスと言っても、シャンパーニュ地方のランス(Reims)ではなく、ベルギー寄りのカレー地方にあるランス(Lens)です。炭鉱の町として栄え、その後衰退したままのこの地で、ビルバオのグッゲンハイムが、町の観光地化を大きく牽引し、成功をおさめたように、この美術館も地域再生の起爆剤としての重責を担っています。

「風景の中に消える」というコンセプト
敷地を平地にせず、その高低差に馴染むように平屋の建物を配置した雁行建築。反射率の高い酸化皮膜されたアルミパネルとガラスの連続面に周囲の木々が柔らかく映し出され、空に溶け込み、曖昧で幻想的な印象を与えています。サナー特有の風が吹き抜けるような空気感、透明感もそこにあります。『金沢21世紀美術館を昇華させたもの』程度の気持ちで、この地を訪れましたがスケール感が全く違っていました。

 

 

『時のギャラリー』(la Galerie du temps)
「紀元前3千年から19世紀までの全作品をひとつのスペースに時系列に展示」することがコンセプト。手前から奥へと、アルミの壁に刻まれた年代にそって空間が細長く伸び、3Dの時代年表の中に舞い込んだような感覚です。

古代ギリシャの作品が、ペルシャ帝国やファラオ時代のエジプトの作品と隣り合って並んでいたり、古代ギリシャの石像を眺め、その視線の先にバロック絵画が見えたりします。自分の立ち位置と時代がリンクしていることがとても面白いです。

「パリと違ってこの美術館の目的は、6千年の歴史の中を歩きながら、博物館的に展示物を古いものとして見るのではなく、現代まで時間が繋がっていて、その先に自分たちがいるのだということを感じてもらう場所にすること、さらに異なる地域をまたいで行くので、いろいろな異文化を勉強する場所にすることにあるのです。」(妹島さん)

 

まず、展示室に入った瞬間、立ち尽しました。これまで経験したことのない、不思議な感覚。子供連れも多く、ある程度の話し声がしているのに静寂の空気が漂い。まるで雲の中を彷徨っているような現実離れした感覚です。 柔らかい自然光が、アルミの壁に反射して、作品や来場者がぼんやりと写り込んでできる効果が、このフワッとした雰囲気を作るのでしょうか?屋内でも屋外でもないような、何とものびやかな気分で美術鑑賞ができるのです。これだけ質の高い重厚な美術品が並んでいるのに、心が呑み込まれたり、疲弊するような、そういう圧迫感がこの空間にはありません。

 

梁が反復し、ルーバーが二重になった天井なので、直射日光を遮断し柔らかい自然光が入ります。

 

 

ラ・トゥールの「灯火の前の聖マドレーヌ」横には、悔悛するマドレーヌに合わせて、腕組みをして悔悛の表情の聖人の木彫り像。他にも、例えば、絵画の中の人物と隣の彫刻の人物の顔が同じ方向を向くような展示の工夫が沢山見られました。

 

フレームのないガラスケースなので、展示物の肩越しに違う時代の展示物が見えます。これも美術館特有の心への圧迫感を緩和して、ゆったりふわっと鑑賞できる効果があるような気がします。

 

 

 

 

ガラスを多用し、光を取り入れた設計で、内部は明るく、内と外の境界は曖昧です。仕切りは最小限で、1つの大きな空間の中に、受付、ショップ、インフォメーション、カフェなどの機能が見渡せます。

 

 

まだ進行中の、「Imrey-Culbert」によるランドスケープ。こんもり隆起した芝生は腰かけ椅子としてデザインされているのでしょう。大きな飛び石のように配置された白いコンクリートの輪が、躍動感を生んでいます。

 

ガラスのエレベーターを下りて地下に行くと、美術品の保管庫が全面ガラス張りで可視化されています。見ていると楽しいです!

 

 

 

  •  5月 13, 2014
5月 072014
 
サグラダファミリア - Light should be just right

 

喧しい人々の長蛇の列に辟易としながら
長いこと待たされて
やっと内部に入ることができた
そこからが魔法だった

森の中にいるみたいな心地のよい空間
教会の厳格な雰囲気は全くない
それでいて神々しい
押し寄せる観光客の雑踏も全く気にならない
むしろゆっくりと見て回ることができたし
穏やかな空気が流れていたのはなぜだろう?

“Abundant light is a positive element but it is not right.
Light should be just right. Not too much, Not too little.
Sagrada Família will be illumines, will be church of harmony.”

Gaudí

ガウディの語った通りのハーモニーの世界が完成していました。

 

 

 

 

  •  5月 7, 2014
5月 062014
 
ビルバオの再生

 

優れた都市デザインが都市を再生させると云うまるで机上の方法論を、

魔法みたいに見事に実現してしまったビルバオ市。

私の尊敬するシーザー・ペリの途轍もなく大胆なマスタープランを採用し

世界の著名建築家にデザインを競わせ、

最先端技術を駆使して、美術館、数々の橋、新空港、地下鉄、国際会議場、コンサートホールを建設。

これらのモダンで無機質なデザインが当初から簡単に市民に受け入れられたとは考え難い…。

特に、フランクゲーリーの美術館など!

さらに、人口35万、都市圏を入れて105万人という都市の規模にはそぐわない、

トラム1路線、メトロ2路線、鉄道数社、バス数社という公共交通。

実際に全て利用してみましたが、システマティックで快適そのものです。

採算性をどう考えたのか、妥当性について疑問視されたでしょう。

しかし今では、この魅力的な都市に、観光やコンベンションの目的で

世界中から人々が押し寄せるようになりました。

バスク州政府なのかビルバオ市長なのか、

どんな確信があってこのプロジェクトに邁進したのか、

その勇気と見識と想像力を称えたいです。

 

 

町の中心を流れるネルビオン川沿いの芝生の上を、歴史的町並みを背景にしながら、音もなく颯爽と走るLRT(Light Rail Transit)。 環境と人に優しく見栄えもする、低炭素型都市づくりの象徴。低床式のトラムは本当に乗降が楽です!  この町は、地下鉄をはじめ至る所がバリアフリーです。

 

フォスター卿の地下鉄駅

 

フォスター卿がデザインした地下鉄の入り口が、町中で口を開けています。

 

カラトラヴァによる曲線の美しいチタニウム製のズビズリ橋(バスク語で白い橋)。

 

真っ白なアーチと繊細な吊りケーブルがビルバオの青空に映えます。吊りケーブル全体がアーチの頂上へ向かっていくような上昇感、求心性があり、かくも美しい橋なのですが、どういう構造で歩道面を吊っているのか不思議です。
先に見えるツインタワーがイソザキ・アテア(バスク語で門)。

 

ビスカヤ橋。世界遺産にも登録されている世界最古 (1893年)の運搬橋です。ワイヤーで吊り下げられたゴンドラが、ピストンで車や人を運びます。

 

 

フランク・ケーリーのビルバオ・グッゲンバイム美術館。年間100万人が訪れ、莫大な建設費は3年で回収したとか…。

 

いつでも沢山の人が散歩している、憩いの場となっているグッゲンハイム美術館の遊歩道。

 

カラトラヴァの空港

 

どこまでも白と曲線を求めた姿は、優雅さを感じさせます。サーフボードのような形をしたベンチの座板から、ボーディング・ブリッジにいたるまで、「ここまで曲げる?」と言えるほど、曲げまくる、カラトラバの真骨頂。この空港にいたボーディングまでの時間、鉄とガラスで出来ている建物なのに、布製のテントの中にいるかのような感覚の、温もりある空間でした。

 

 

 

 

  •  5月 6, 2014
5月 062014
 

 

 

カタルーニャ通り沿いのタピエス美術館のそばで素敵な画廊を見つけたので覗いてみると、

ピカソがノートの切れ端に描いたパステル画の落書きや美しいミロやタピエスが…。

説明を聞くとそのピカソの絵は、娘マハと遊んでいて描いたものだそうです。

そして、この画廊、元々、帽子好きのミロが営んでいた帽子店で、

相続したミロの娘が画廊を始めたというのです。

ミロの理解者で親友のプラッツも帽子店を営んでいたので、その店だったのかもしれませんが、

ミロの娘が相続してこの画廊を開いたのは事実のようで当時の写真なども見せてくれました。

こういう素敵な出会いには、胸が躍ります。

 

 

ミロの娘が始めた画廊。確かに帽子店の名残があります。奥行きのあるこの画廊、いくつもの展示室には、ピカソやミロ、タピエスなど 20世紀のカタルニャの巨匠の垂涎ものの作品が、次から次へと並んでいて、その質と量にビックリ仰天しました。

 

カタルーニャ通り (Rambla de Cataluña)は、真ん中を人が通り、車は両サイドの細い道に追いやられています。本来こうあるべきなのでは…。

 

雨の日のカタルーニャ通り

 

 

  •  5月 6, 2014