5月 062014
 
大好きなタピエス美術館 バルセロナ
Fundacio Antoni Tapies

 

これで、3度目の訪問になる私の好きな空間です。1880年代にモンタネールが設計した出版社の建物。廉価で構造体の基盤を作る資材に過ぎなかったレンガをファザードに使ったことで、当時から注目を集めたそうです。それをタピエスが買い取り、美術館として改装、1990年にオープン。彼は、この美術館を自分の作品展示だけでなく、芸術の交流の場、新進アーティストの発信の場として開放しています。

以前に、浅ましい門外漢ながらタピエスについて考察しております。よろしければここからお読みください。

 

写真は diarioDESIGNから転用。モンタネールの装飾的な美しいファサード。建物の上に浮遊しているグシャグシャの針金は、『雲と椅子』というタピエスの作品です。

 

写真は diarioDESIGNから転用。細い鉄の柱が林立する白い空間。吹抜けからの採光がとても効果的で息をのむ美しさです。

 

2階の片側にある図書館。木材とガラスを、鉄の柱と平行な縦の線で組み合わせて内部を見せていますが、この素材の組み合わせとバランスが好きで好きでたまりません。

 

 

 

穴の開いた高さ3メートルの靴下のオブジェ。嫌悪感をもたらすものへの再評価も彼のテーマ。汚い足、捨てられた靴、果ては肛門まで。理想的なものを排除し、現実世界の物質に目を向けていく姿は、アンフォルメル芸術の概念の一つだとか…。よくわかりませんが、単純にお茶目でかわいいと感じます。

 

 

靴下を見に屋上へゆくと、エレベーターホールの天井が鏡。この効果が面白くてベンチに腰かけて、しばし自分を眺めます。

 

  •  5月 6, 2014
5月 032014
 
Museo Guggenheim Bilbao

 

 

フランク・ゲーリーらしい曲線。圧倒的な存在感の造形が、周辺の公共空間と調和しながら泰然と鎮座しています。美術館には、年間100万人が訪れ、莫大な建設費は3年で回収したとか…。

 

幾重にも重なるチタンの局面が光を反射して美しいグラデーションを作っています。また、建物全体の緩やかな曲線と呼応するかのように川沿いの遊歩道も湾曲していて一体感があります。さらに、この遊歩道の湾曲によって、ネルビオン川も同じ曲線を持っているかのように見せています。

 

ライトアップが素敵な夜の遊歩道

 

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといます。

 

先に見える高層ビルは、この都市再生マスタープランを担当したシーザー・ペリの作品。

 

空にニョロニョロと伸びてゆく感じ。

 

エルネスト・ネト (Ernesto Neto)の展示室。伸縮性と透過性に優れた布地を用いた有機的な形態のインスタレーション。 解説によると、 「感覚は次第に解き放たれていき、 まるで胎内にいるような安らぎに包み込まれる」 とのこと。 ネットの中に自然な香料が入っていて それがまたこの空間にぴったりの安らぎの香り。

 

ヨーコ・オノの「願いの木」 。ネトの展示室も ヨーコの「願いの木」も どちらも参加を誘うアート。 人々が参加して、 見事にアートに溶け込んでいます。後ろの巨大な鍾乳洞みたいなインスタレーションは、エルネスト・ネトのもの。

 

沢山の自然光が入り、開放感のある吹き抜けエリア。この空間の特製を最大限に活かしたネトによるインスタレーション。巨大なオブジェにも、やはり安らぎに包まれた感覚があります。

 

  •  5月 3, 2014
5月 012014
 

サンセバスチャンの市場にすっかり感心して納得して

 

フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーが、

バスク地方の文化的伝統の中心地であり、自由と独立の象徴的な町『ゲルニカ』について記述しています。

「ゲルニカには地上で一番幸せな人びとが住んでいる。聖なる樫の樹の下に集う農夫たちがみずからを治め、その行動はつねに賢明なものであった…。

そんなバスク地方は今でも、スペインでありながら似て非なるもの。

独自の言葉と文化を頑なに守り続けています。

ビスケー湾の豊かな海の恵み、山間の広大で緑豊かな牧草地や豊富な雨は、質の高い酪農品と瑞々しい野菜を生む。食材は一級品。

人々は、繊細でまじめで勤勉。明るくて温かい。

食材を慈しみ、創造力に富んでいて、食べることを謳歌している。

特にサンセバスチャンには、高城さんの本のタイトル通り、

人口18万の都市に三つ星レストランが3店、世界ベスト10レストランが2店ある。

レシピはフランスのような秘伝ではなく、きちんと図式化され公開されていて、レシピを共有しながら競争することで、

技術や味のレベルアップが生まれるという革新的な考え方。

何故こんな不便な所に世界から美食家が押し寄せるのか、よーくわかりました。

 

 

木曜の夜、サンセバスチャンの市場は、バルになります。八百屋も肉屋も魚屋も店の前でピンチョスを売り、生バンドや即席バーも入る。写真がありませんが、魚屋の前に並んだ寿司スタンドは、やはり人気があります。地中海のマグロもなかなかおいしい。

 

近代的で清潔感のあるサンセバスチャンのラ・ブレチャ市場。(Mercado de la Brexta) それにしても、この市場、やたらと女性がテキパキ働いてます。

 

ほとんど近海ものですから、新鮮なのはもとより、まるで築地のような鮮魚に対する扱い方です。

 

 

このおばちゃん達、おしゃべりしながら、しっかり手を動かして、野菜の下処理をしている。 それもとても繊細に丁寧に。さやから出された小さなえんどう豆のパック。、筋を取ってきれいに切り揃えたインゲンのパック。 アスパラの皮も剝いて真空パックにしています。

 

 

皮を剥いたアスパラは、先の部分と根本の部分とが別々の真空パックになって売っています。確かに用途を使い分けるべきですから…。

 

『旅の友』だった人参スティック。綺麗に面取りされて 4 cm 位の一口サイズになっています。

 

  •  5月 1, 2014
4月 292014
 
ボルドーの都市開発を考える

 

私にとっては、ある日突然、
新古典主義の建物が『水の鏡』に映し出される幻想的な写真を見て、
なんて美しいところだろうと一目惚れ。
それが、シャトーワインで有名なボルドーであると知り、
必ず行ってみようと決めました。たった一枚の写真の訴求力です。
いくら、ワインに興味があっても、なかなか赴こうとは思いません。
ところが数年前から急に気になりだした訳です。

多くのフランス人にとっても、
ボルドーは、車の排気ガスで汚れた暗い街というイメージがあり、
2000年代以降のまちの変化は、大きな驚きだったようです。

今回、実際にボルドーを訪れることができ、目の当たりにしたものは、
環境に配慮しながら、ここに暮らす人々、先端技術、水、緑、
そして18世紀の町並みが見事に調和した姿でした。

都市計画のパンフレットなど簡単なものを読んだ程度ですが、
感動すら覚える都市開発の哲学がそこにはあります。

ボルドーのユネスコ世界文化遺産登録(2007年)では、
都市開発が、歴史遺産の保全に矛盾しないという点が評価されたようです。

その立役者は、1995年にボルドー市長に就任したアラン・ジュペ氏。
彼は、ボルドー市の再生計画において、
住民参加型でかつ持続可能な社会を目指すプロジェクトをたくさん打ち立てました。
市は、住民のエコロジー教育と啓発に力を入れ、
例えば、エコロジー憲章の作成、ワークショップなどを通して、
車社会から路面電車活用へのシフト、植物園や花壇で過ごす楽しさなど、
ジュペ氏の目指すまちづくりが、市民の望む環境社会と調和することを目指しました。

社会学で参加民主主義の理論というものがありますが、
それは、人間が、参加を通じて成長し、より良い市民になることに着目しています。
まさにそんな感じで、市民参加が熟成していったのではないでしょうか?

歴史的街並みは、ファサードの洗浄・修復が行われ見事に再生。

都市空間を歩行者や自転車、公共空間に再配分するという理念に基づいて
ガロンヌ川岸の開発や自転車道の整備もなされました。

また、2003年に最新鋭の路面電車 LRT(Light Rail Transit) が開通
市内の中心部は車の乗り入れが制限され、この路面電車が市民の足となりました。

歴史的街並みや河川空間などの都市資源を生かして整備された公共空間は、
歩行者空間のみならず休暇空間、イベント開催空間として活用されています。

この公共空間は,多様な人が共存できる環境をつくり、文化を支える基盤となり、
文化育成のためのプロジェクトが盛んに行われるようになりました。

町に人が集まり、活気に満ちてくると
さらに人が集まり、成熟した文化が生れる。
ボルドーはそういう好循環に入っているように感じます。

 

ブルス広場の前、地面に2cm程張っている水面が鏡のように建物を映し出す「水の鏡」。水が引いた状態、水が張ってる状態、スモークが立ち籠めた状態の 3 パターンがコンピューター制御されてるとか…。

 

ナショナルジオグラフィックから写真を引用

 

常に車が渋滞する狭い車道に対してガロンヌ川沿いの遊歩道の広いこと!市民がゆったりと散歩する憩いの場を優先しています。

 

市内の中心部は、車の乗り入れが制限され、LRTが、市民の足となりました。

 

最新鋭 LRT は架線まで美しい。

  •  4月 29, 2014
4月 282014
 
色彩のバランスが素敵なバスク地方の町 サン・ジャン・ド・リュズ
Saint Jean de Luz

 

美しい海バスクを象徴する港町サン・ジャン・ド・リュズを訪ねました。
古くから漁業で栄えたフランス側バスク地方の町です。
くねくねとした細い路地が多く、
その路地には、カフェやレストランの椅子やテーブルが並んでいるのですが
このテーブルを覆うバスクリネンの明るく爽やかで元気なカラーがそれぞれセンス良く
白壁と赤と緑の鎧戸のバスク様式の街並ともマッチしていて素敵な町です。

 

昼食を頂いたレストラン『シェ・パブロ』についてはこちらから

 

白い壁に赤い鎧戸で統一されたバスク様式の街並み。

 

創業350年のマカロン専門店『メゾンアダム』。何故か、2階のファサードには、深紅の唐辛子が白壁を埋め尽くすように飾られています。

 

ルイ14世の成婚の際に献上されたと言われるマカロンは、今でも当時と同じレシピで作られいるそうです。

 

無駄のないシンプルなパッケージ

 

バレンシアのアーモンドと粉と砂糖を練り込んで、しっとりと焼き上げたもの。噛むとネチッと歯にとどまり、もっちりと口の中にアーモンドの風味が広がります。保存料・着色料一切なしです。

 

ルイ14世の結婚式が行われたサン・ジャン・バティスト教会  (Eglise St-Jean Baptiste) 。三層のバルコニーが特徴のバスク様式の教会です。荘厳さに木の温もりが加わり、ほっとするような優しさが感じられます。30年戦争を戦っていたブランスとスペインが、フランスの勝利によって講和を結び、スペイン王フェリペ4世の娘マリー・テレーズが、ルイ14世に嫁ぐことになったため、スペインとフランス両国の国境近くにあるこの町で婚礼が行われたようです。ヴェルサイユ宮殿を作ったこの王の趣味とはちょっと違っていますが、ご本人はどんな心持ちでこの婚礼に臨んだのでしょうか…。

 

バスクリネンは、17世紀頃に始まり、元々牛の日除け、虫除けに作られたものだそうです。 当時のものは麻製で、丈夫で破れにくいよう、しっかりと厚手に織られています。 また牛の背中を覆っていたため、かなり大判に作られています。 自分の牛を他人のものと区別するため、線の太さや色を変えて、それぞれの模様で判断していました。 7本の線が入っていることも多く、これはバスクが7つの地域の集合体であることを表しているそうです。 スペインの4州とフランスの3州の7州が、一つのバスクであるという民族意識が、「サスピアク・バット」(7つは1つ)というバスク・ナショナリズム運動のスローガンにもなっています。

 

 

 

1884年に設立された古いマルシェ。バスクならではの食材がびっしり詰まっています。

 

 

  •  4月 28, 2014
12月 162013
 
仏教学者 鈴木大拙の世界
 あ

禅を中心に仏教の本質を西欧世界に伝えることに尽力し、

1966年に95歳で亡くなった鈴木大拙さんの『鈴木大拙館』を訪れました。

敷地の特長である斜面緑地を背景に、石垣や水景など金沢を象徴する景観を創造し、

その中で鈴木大拙の世界を展開するというコンセプトのもと谷口吉生が見事に設計しています。

建築は、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」を回廊で結ぶとともに、

「玄関の庭」「水鏡の庭」「露地の庭」によって構成され、

この3つの棟と3つの庭からなる空間を回遊することによって、

来館者それぞれが鈴木大拙について知り、学び、そして考えるようになっています。

しんしんと降る雪の中、町の喧騒から逃れ、

心静かに、物思いに耽ることができる上質な空間で、鈴木大拙に関する本(置いてあった円空の本も良かったです)を何冊か読み彼に思いを馳せました。

最後にいくつか抜粋しています。

 

エントランスのアプローチ

 

玄関から展示棟までの『内部回廊』。足元よりの光が動線を示唆し、幻想的な空間を創り出しています。

 

『展示空間』に掛けられた「それはそれとして」の書。大拙さんは悩み事などを相談されると、じっくり話を聞いたあとに「それはそれとして..」と話し始めていたそうです。 自分の努力ではどうにもならない壁にぶち当たったら「それはそれとして」とつぶやいてみると、うまくいくこともあるかもしれません! 私もこの書のポストカードを机に置いて、物事にとらわれない心を養いたいと思っているのですが…。簡単ではありません。

 

大拙の著作と映像やラジオなどが視聴可能なiPadが置いてある『学習空間』。 窓の外は『路地の庭』。つくばいはイサム・ノグチのものだとか。

 

雪の降る『水鏡の庭』。定期的に波紋が発生し、水面はいったん乱れ、また元の静寂へと戻っていきます。しかし、戻ったように見えても先ほどまでの景色とは違います。水も、一箇所にはとどまらず絶えず変化しています。水鏡の庭に浮いているように佇む『思索空間』。

 

『展示棟』から『思索空間』への回路で、『水鏡の庭』を眺めることになりますが、私的には、ここは一種の瞑想空間。降りゆく雪が水面にあたり、消えてゆく様子を無心で長いこと眺めていました。

 

『思索空間』側から『展示棟』へ戻ると、斜面になった背景の自然が視界に入ります。

 

 

 

日野原重明さんのコラムから

『仏教学者の鈴木大拙老師の言葉「それはそれとして」が私の心に深く染みこんできました。 特定の物事にとらわれることなく、「それはそれとして」、心を流れる水のように保つ。
来るべき時間をよりよく生きるため、しなやかな心で前を向く。
「それはそれとして」そうつぶやいた時、私はやっと体の疲労感とともに、精神の疲れまでもが、さらさらと洗い流されていったように感じました。』

 

大拙師の最晩年の15年を秘書役として生活を共にし、記念館の名誉館長である岡村美穂子さんと大拙について『三人の女性と鈴木大拙』(上田閑照著)から

「一人」を生き、世界の只中で働きつづける大拙に、ニューヨークで彗星のように一人の少女が現れる。

その人こそ大拙の死まで秘書を務めた岡村美穂子さんでした。
この出逢いこそ、正真正銘の出逢いと呼ぶべきでしょう。

以後、大拙は生き生きと、明らかに生まれ変わったのでした。
その出会いについて、大拙の没後、岡村さん自身が書いている。

ニューヨークに住むハイスクールの一生徒、十四歳の少女が
「仏教のえらい先生が日本からおいでになって」
コロンビア大学で講義があるということを知り、
「どれ、聞いてみてやろう」と
「私も気負っていたのかもしれません」と彼女は言う 。

大勢の大学生や教師たちの間に忍び込み、大拙先生の現れるのを待っていた。
やがて教室の扉が開かれ、片手にこげ茶色の風呂敷包みをかかえた大拙が
「風を切るような大股でサッサッと」教壇を目指してまっすぐに歩いてゆく。
教壇にのぼり、風呂敷包みを丁寧に広げ、
和綴じの本を二冊取り出して、その本をめくってゆく。

その大拙の現われにおける身体の動きに、彼女は
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」を感じた。
「先生は、然るべき項を見つけると、静かな口調で話をはじめられました。
私は、その気品ある見事な英語に驚かされました。」
大拙(当時八十歳)の「仏教哲学」の講義が始まった。

講義の内容は十四歳の少女には難しかった。
しかし講義を理解する以上のことを感じ取っていた。
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」と彼女は言う。
人間には大なり小なり自意識による歪みや澱みが生ずるものだが、
彼女が大拙に見たものは、身体化された真実の自然さである。
彼女はそれを見ることができた。

彼女は「先生が全身で示される大説法それ自体」の響きを聞いた。
大拙は、繕わず巧まないところに大いなるものが現れるという意味の居士号「大拙」の通りに、その存在の現われをもって彼女を説得した。

彼女は、仏教も禅も知らず、素手で、それだけにより直接に大拙の存在の真実性を感じ取ったのである。
仏教界での大拙の連続講演も聞くようになった彼女は、
やがてコロンビア大学付属のホテルに住む大拙先生を訪ねるようになり、
大拙は彼女にとって次第に決定的になってゆく。

「人が信じられなくなりました。生きていることが空しいのです」。
少女のこの訴えを聞いて、大拙はただ「そうか」と頷いた。
「否定でも肯定でも、どちらでもない言葉だと思いました。
が、その一言から感じられる深い響きは、私のかたよっていた心に、
新たな衝撃を与えたのではないかと、今にして鮮明に思い出されます。
先生は私の手を取り、その掌を広げながら、
「きれいな手ではないか。よく見てごらん。仏の手だぞ」。
そういわれる先生の瞳は潤いをたたえていたのです。
私が先生の雑務のお手伝いをしながら、心の問題と取り組ませていただいたのは、このような環境でのことだったのです。

 

 

 

 

 

  •  12月 16, 2013
4月 072013
 
カルロ・スカルパのカステル・ヴェッキオ美術館

 

サローネに行く前に、ヴェローナでワインの展示会 Vini d’Italia の仕事をしている友人と合流。イタリア全土のワインメーカーが一堂に会するこの展示会で、ワインを試飲して廻るのも魅力ですが、一番の目的は、ヴェローナ領主であったスカラ家の14世紀の古城をカルロ・スカルパが美術館にリノベーションしたCastello Vecchio を訪れることでした。

 

入室した瞬間、出口までが見通されます。透視図的な景観で、静かに奥へと誘うような印象。 8m四方の5室の展示室が、アーチの分厚い壁で分割されて「明るく広い」展示空間が「暗く狭い」小空間を挟みながら連結。第一室左の後ろ向きの彫刻は、鑑賞者に後ろを振り返らせるための仕掛け。視線を意図的にコントロールしています。

 

粗い白肌の壁に拡散する自然光と陰影の織りなす美しさは、完璧にデザインされていて、この採光が彫刻に精神性を与えています。

 

入室した瞬間から退室までずっと眺めることになる正面の円形の建具と格子戸のデザインは、日本建築の影響が明らかですが、完全に彼の中で消化され独自の美を生み出しています。

 

建物には、ほとんど手は加えられておらず、新たに造作されたコンクリートやキャストアイロンの見事な細部が、オリジナル部分を際立たせ美しく調和しています。温かい感覚と冷たい感覚、人工的なものと自然なもの、黒いスチールと白い石や赤銅色のスタッコ(多分)、均一なものと不均一なもの、曲線と直線。計算され尽くした対比の妙。工芸品のような存在感があるディテールの数々。

 

 

 

 

 

 

 

  •  4月 7, 2013
11月 122012
 
ヴェネツィアでホッと一息つける安らぎの空間 – ペギーグッゲンハイムコレクション
Venice Peggy Guggenheim Collection

過去の栄華とその後の衰退に縁取りされたドゥカーレ宮やサンマルコ広場。
特に夕暮れ時の物憂げな美しさ。
複雑に入り組んだ路地は、緑も少なく、
時として迷い込んでしまったような不安な気持ちを誘います。
美術館や教会で観るヴェネツィア派の大作の数々。
大運河から眺める豪奢な建築。
圧倒的に美しくて蕭然たるものを秘めたヴェネツィア。

そんなヴェネツィアで、ホッと一息つける安らぎの空間が
ペギーグッゲンハイムの美術館です。

彼女の趣味の良さがコレクションのみならず空間の隅々にまでいきわたっていて
本当に気持ちのよい場所なのです。
何より一人の人間の審美眼によって集められたコレクションには安心感のようなものがあります。
展示の量も丁度よく、少し見てはカフェや庭園で休み、また展示に戻る。
そんなことを繰り返して、半日でも一日でものんびりとそこで過ごす時間によって
心を満たすことができるのです。

緑溢れる庭園と彫刻に囲まれたお庭には、彼女自身が眠っていて、
多くの人が自分のコレクションを楽しんでいる様子を見守っています。

コレクションには、勿論エルンスト(一時婚姻関係にあった)の作品が 沢山あります。
カンディンスキー、ピカソ、キリコ、ミロ、モンドリアン、 シャガール、ダリ、マグリット、ポロック、ベーコン、ロスコ等多士済々。

ブランクーシ、ジャコメッティ、アルプ、ゴンザレス、ムーア、 マリーニ等の彫刻も館の内外に散在しています。

これらの一流の作家達の沢山の作品の中から、ペギーが集めたコレクションは、私の琴線に触れる作品ばかり…。

あれもこれも、好きなものだらけの大好きな場所なのです。

 

さて、今回のこちらの特別展は、カポグロッシ(Capogrossi) の回顧展。

あまり興味のなかったカポグロッシのへんてこな櫛のような半円形の作品でしたが
あの記号のような形の誕生からその成長を時系列で眺めるうちに
自然と彼の世界に入っていくような、そんな構成になっていて
すっかりそれにハマってしまいました。

「記号」で空間をうめる。
それは、小さなブロックで立体を作るのに似ています。
そしてその記号自体、延びたり縮んだり、自由自在。
篆刻風あり、モンドリアン風あり。
単なる「記号」なはずなのに、その「記号」がうごめくさまは、
何か生き物のようにも見えます。
線路の上を走る汽車のように見えたり、あるいは、象の行進のように見えたり。

自分の言葉を見つけたアーチストは強い。
とにかく、それぞれの作品が楽しそうだし、次々に何かアイディアが湧いてくるのが見えるようです。
同じ形の「記号」が、サイズを自由に変える。
または、1つ1つの「記号」が集まって、全体でまた同じ形を構成する。
あるいは色の反転。

最初はやや遠慮がちに登場したかに見えるこの「記号」は、
すぐに彼のすべてになり、
まさに水を得た魚のように、
自由に生き生きと、独自の作品を創り上げていきました。

 

 

 

Marino Marini 『The Angel of the City 』

 

Germaine Richier 『Tauromachy』 

 

クリスティーズのサイトから素敵な写真を引用。Peggy Guggenheim and her dogs in the palazzo gardens, with Germaine Richier’s sculpture, Tauromachy

 

 

  •  11月 12, 2012