5月 062014
 
Museu Can Morey de Santmarti

 

マジョルカ島パルマで、カテドラルの見学をして、その界隈の小道を散策していたら、素敵な中庭がちらりと見えたので、中を覗いてみるとダリの美術館でした。マジョルカ風の素敵なお屋敷にダリの軽いタッチの色彩の優しいスケッチやリトグラフが展示されていてホッと心が和みました。

 

 

この屋敷を見つけた時に、どうしてもダリの作品を展示したいと感じ、ダリの遺族とも相談しながら、作品を集めてギャラリーをオープンさせたという Wolfgang Hornke さん。ドイツ人でキュレーター兼画商。この人、晩年のシャガールの 所に、あのマインツ教会のステンドグラスの制作を依頼しに行った人だそうで、説得するの はそれは大変だったとか…。結果として、ユダヤ人のシャガールが、あんなに素晴らしい作品をドイツに残してくれたことに、ドイツの人々がどれだけ感謝しているかを語ってくれた。 長年パリで暮らし、ムルロー氏とも親交があったらしく一緒に写った写真を見せてくれました。

 

和紙にプリントされて優しくて繊細な作品がたくさんありました。

 

 

 

 

 

ムルロー工房(リトグラフの工房)のポスター。 ムルロー氏は、ピカソ、マティス、シャガール、ミロ、ブラック、コクトーなどと深 い信頼関係で結ばれていて、彼らと共に20世紀のリトグラフの隆盛を築いた人物と言われています。

 

ウォルフガングさんが、注目しているというアルゼンチンの画家『Horacio Sapere』

 

  •  5月 6, 2014
5月 062014
 
大好きなタピエス美術館 バルセロナ
Fundacio Antoni Tapies

 

これで、3度目の訪問になる私の好きな空間です。1880年代にモンタネールが設計した出版社の建物。廉価で構造体の基盤を作る資材に過ぎなかったレンガをファザードに使ったことで、当時から注目を集めたそうです。それをタピエスが買い取り、美術館として改装、1990年にオープン。彼は、この美術館を自分の作品展示だけでなく、芸術の交流の場、新進アーティストの発信の場として開放しています。

以前に、浅ましい門外漢ながらタピエスについて考察しております。よろしければここからお読みください。

 

写真は diarioDESIGNから転用。モンタネールの装飾的な美しいファサード。建物の上に浮遊しているグシャグシャの針金は、『雲と椅子』というタピエスの作品です。

 

写真は diarioDESIGNから転用。細い鉄の柱が林立する白い空間。吹抜けからの採光がとても効果的で息をのむ美しさです。

 

2階の片側にある図書館。木材とガラスを、鉄の柱と平行な縦の線で組み合わせて内部を見せていますが、この素材の組み合わせとバランスが好きで好きでたまりません。

 

 

 

穴の開いた高さ3メートルの靴下のオブジェ。嫌悪感をもたらすものへの再評価も彼のテーマ。汚い足、捨てられた靴、果ては肛門まで。理想的なものを排除し、現実世界の物質に目を向けていく姿は、アンフォルメル芸術の概念の一つだとか…。よくわかりませんが、単純にお茶目でかわいいと感じます。

 

 

靴下を見に屋上へゆくと、エレベーターホールの天井が鏡。この効果が面白くてベンチに腰かけて、しばし自分を眺めます。

 

  •  5月 6, 2014
5月 052014
 
Museo De La Fundacion Joan Miro

 

寡黙なミロが、語った言葉が痺れます。
「私は大地からはじまり、ものを描くのです。
大地を踏みしめて描かなければならない。
力というものは足から入ってくるからだ。」

彼の大地はカタルーニャの土であり風土そのものです。
郷土を愛し、大地に深く根ざすことをつらぬいた芸術家、ミロ。

人とは、社会とは、国とは何か?
そして、そこに息づく命と、生きる歓びとは?
カタルーニャの大地や木々、風や星や雲の中にその答えを見出したミロ。

彼の評伝を読むと苦闘の日々が伝わってきます。
寡黙であり、真面目であるがゆえに、
感じたこと、見たものの本質から目を反らさず、
自身の内面と真摯に向き合い、もがき苦しんでいます。

そういう苦悩や悲しみの末に生まれた彼自身の精髄のような作品であるから、
私たちの魂を揺さぶるのだと思います。
ミロの精神の崇高さが作品の豊かさとなって
人々から愛されているのでしょう。

ミロのことが理解したくて、カタルーニャの歴史資料を読み、
頭の中を整理するために簡潔に年表にまとめてみました。
興味のある方はこちらからお読み下さい。

『美の旅人スペイン編』(伊集院静著)の中で、
ミロと詩人で美術評論家の瀧口修造の出会いと親交の部分が興味深く描かれていました。
瀧口修造は、ミロの才能を一早く発見し、
1940年、世界で最初に彼に関する論文を執筆刊行しています。
1966年、ミロが来日した際に銀座の南画廊で二人は初めて出逢い、
そこで瀧口が26年前に執筆した著書を渡し、
この本の発行日を知ったミロは、
10歳年下の無口な日本の詩人の肩を優しく抱いたと描かれています。
以来二人の友情は続き、ミロが再来日した折、二人は三日間ホテルに同宿して、
『手作り諺』という詩画集(7カ国語の本文にミロのリトグラが添えられた画期的な本)を合作したそうです。
その後もミロは瀧口の詩集のために何点かの作品を描き、『ミロの星とともに』を刊行。

そして、伊集院さんは、瀧口の詩集『曖昧な諺』の中の
「石は紅さして、千年答えず」という一節を紹介していました。
それに続く伊集院さんの文章が
「ミロもこの一節を読んでいたと想像する。大地は美しく寡黙であると。画家と詩人は見据えていたのではなかろうか。」

 

ミロの作品とヘミングウエイとの逸話も有名です。

ミロの作品『農園』を買い求めたヘミングウェイの言葉
「この絵は、スペインにいるときに感じているすべての要素が内包されており、
その一方でスペインを離れて、故郷に戻れないときに感じるものすべてがある。
誰もほかに、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」

“It has in it all that you feel about Spain when you are there and all that you feel when you are away and cannot go there.
No one else has been able to paint these two very opposing things.”

制作に9ヶ月も費やしたこの作品は、完成当初、不評でした。
ミロは、パリ の画廊を歩き回りましたが買手はつきません。
たまたま一日だけ、カフェに展示する機会を与えられ
そのたった一日の展示期間に、この作品に魅入られた人物がヘミングウェイ です。
しかし、当時のヘミングウェイには、お金がありません。
ヘミングウェイと彼の友人は、街を奔走し、友達から金を借り集めます。
なんとか支払い期日に間に合って、ヘミングウェイ はこの作品を手に入れたそうです。

 

 

ガウディやミロのカタルーニャ魂を考えるために年表を作りました

 

『農園』National Gallery of Art, Washington
左にある畑がきれいに耕されて、種まきの始まりを待ち構えている様子なので季節は春でしょう。犬は欠伸して、鶏の鳴声がこだまし、遠くの井戸では馬が水を汲み上げています。あちこちに散乱する農具。もうすぐ始る仕事の準備に追われている様子。人も動物も、勝手気侭に行動している様だけど、ある秩序が感じられます。この作品を観ていると、風の音や、動物達の声や、農作業に従事している物音が聴こえる様な気がします。それは、何故だか懐かしい物音で、農家の生活とは無縁のわたしでも、故郷に帰った様な錯覚を抱いてしまいます。

 

 

 

  •  5月 5, 2014
5月 032014
 
Museo Guggenheim Bilbao

 

 

フランク・ゲーリーらしい曲線。圧倒的な存在感の造形が、周辺の公共空間と調和しながら泰然と鎮座しています。美術館には、年間100万人が訪れ、莫大な建設費は3年で回収したとか…。

 

幾重にも重なるチタンの局面が光を反射して美しいグラデーションを作っています。また、建物全体の緩やかな曲線と呼応するかのように川沿いの遊歩道も湾曲していて一体感があります。さらに、この遊歩道の湾曲によって、ネルビオン川も同じ曲線を持っているかのように見せています。

 

ライトアップが素敵な夜の遊歩道

 

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといます。

 

先に見える高層ビルは、この都市再生マスタープランを担当したシーザー・ペリの作品。

 

空にニョロニョロと伸びてゆく感じ。

 

エルネスト・ネト (Ernesto Neto)の展示室。伸縮性と透過性に優れた布地を用いた有機的な形態のインスタレーション。 解説によると、 「感覚は次第に解き放たれていき、 まるで胎内にいるような安らぎに包み込まれる」 とのこと。 ネットの中に自然な香料が入っていて それがまたこの空間にぴったりの安らぎの香り。

 

ヨーコ・オノの「願いの木」 。ネトの展示室も ヨーコの「願いの木」も どちらも参加を誘うアート。 人々が参加して、 見事にアートに溶け込んでいます。後ろの巨大な鍾乳洞みたいなインスタレーションは、エルネスト・ネトのもの。

 

沢山の自然光が入り、開放感のある吹き抜けエリア。この空間の特製を最大限に活かしたネトによるインスタレーション。巨大なオブジェにも、やはり安らぎに包まれた感覚があります。

 

  •  5月 3, 2014
12月 162013
 
仏教学者 鈴木大拙の世界
 あ

禅を中心に仏教の本質を西欧世界に伝えることに尽力し、

1966年に95歳で亡くなった鈴木大拙さんの『鈴木大拙館』を訪れました。

敷地の特長である斜面緑地を背景に、石垣や水景など金沢を象徴する景観を創造し、

その中で鈴木大拙の世界を展開するというコンセプトのもと谷口吉生が見事に設計しています。

建築は、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」を回廊で結ぶとともに、

「玄関の庭」「水鏡の庭」「露地の庭」によって構成され、

この3つの棟と3つの庭からなる空間を回遊することによって、

来館者それぞれが鈴木大拙について知り、学び、そして考えるようになっています。

しんしんと降る雪の中、町の喧騒から逃れ、

心静かに、物思いに耽ることができる上質な空間で、鈴木大拙に関する本(置いてあった円空の本も良かったです)を何冊か読み彼に思いを馳せました。

最後にいくつか抜粋しています。

 

エントランスのアプローチ

 

玄関から展示棟までの『内部回廊』。足元よりの光が動線を示唆し、幻想的な空間を創り出しています。

 

『展示空間』に掛けられた「それはそれとして」の書。大拙さんは悩み事などを相談されると、じっくり話を聞いたあとに「それはそれとして..」と話し始めていたそうです。 自分の努力ではどうにもならない壁にぶち当たったら「それはそれとして」とつぶやいてみると、うまくいくこともあるかもしれません! 私もこの書のポストカードを机に置いて、物事にとらわれない心を養いたいと思っているのですが…。簡単ではありません。

 

大拙の著作と映像やラジオなどが視聴可能なiPadが置いてある『学習空間』。 窓の外は『路地の庭』。つくばいはイサム・ノグチのものだとか。

 

雪の降る『水鏡の庭』。定期的に波紋が発生し、水面はいったん乱れ、また元の静寂へと戻っていきます。しかし、戻ったように見えても先ほどまでの景色とは違います。水も、一箇所にはとどまらず絶えず変化しています。水鏡の庭に浮いているように佇む『思索空間』。

 

『展示棟』から『思索空間』への回路で、『水鏡の庭』を眺めることになりますが、私的には、ここは一種の瞑想空間。降りゆく雪が水面にあたり、消えてゆく様子を無心で長いこと眺めていました。

 

『思索空間』側から『展示棟』へ戻ると、斜面になった背景の自然が視界に入ります。

 

 

 

日野原重明さんのコラムから

『仏教学者の鈴木大拙老師の言葉「それはそれとして」が私の心に深く染みこんできました。 特定の物事にとらわれることなく、「それはそれとして」、心を流れる水のように保つ。
来るべき時間をよりよく生きるため、しなやかな心で前を向く。
「それはそれとして」そうつぶやいた時、私はやっと体の疲労感とともに、精神の疲れまでもが、さらさらと洗い流されていったように感じました。』

 

大拙師の最晩年の15年を秘書役として生活を共にし、記念館の名誉館長である岡村美穂子さんと大拙について『三人の女性と鈴木大拙』(上田閑照著)から

「一人」を生き、世界の只中で働きつづける大拙に、ニューヨークで彗星のように一人の少女が現れる。

その人こそ大拙の死まで秘書を務めた岡村美穂子さんでした。
この出逢いこそ、正真正銘の出逢いと呼ぶべきでしょう。

以後、大拙は生き生きと、明らかに生まれ変わったのでした。
その出会いについて、大拙の没後、岡村さん自身が書いている。

ニューヨークに住むハイスクールの一生徒、十四歳の少女が
「仏教のえらい先生が日本からおいでになって」
コロンビア大学で講義があるということを知り、
「どれ、聞いてみてやろう」と
「私も気負っていたのかもしれません」と彼女は言う 。

大勢の大学生や教師たちの間に忍び込み、大拙先生の現れるのを待っていた。
やがて教室の扉が開かれ、片手にこげ茶色の風呂敷包みをかかえた大拙が
「風を切るような大股でサッサッと」教壇を目指してまっすぐに歩いてゆく。
教壇にのぼり、風呂敷包みを丁寧に広げ、
和綴じの本を二冊取り出して、その本をめくってゆく。

その大拙の現われにおける身体の動きに、彼女は
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」を感じた。
「先生は、然るべき項を見つけると、静かな口調で話をはじめられました。
私は、その気品ある見事な英語に驚かされました。」
大拙(当時八十歳)の「仏教哲学」の講義が始まった。

講義の内容は十四歳の少女には難しかった。
しかし講義を理解する以上のことを感じ取っていた。
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」と彼女は言う。
人間には大なり小なり自意識による歪みや澱みが生ずるものだが、
彼女が大拙に見たものは、身体化された真実の自然さである。
彼女はそれを見ることができた。

彼女は「先生が全身で示される大説法それ自体」の響きを聞いた。
大拙は、繕わず巧まないところに大いなるものが現れるという意味の居士号「大拙」の通りに、その存在の現われをもって彼女を説得した。

彼女は、仏教も禅も知らず、素手で、それだけにより直接に大拙の存在の真実性を感じ取ったのである。
仏教界での大拙の連続講演も聞くようになった彼女は、
やがてコロンビア大学付属のホテルに住む大拙先生を訪ねるようになり、
大拙は彼女にとって次第に決定的になってゆく。

「人が信じられなくなりました。生きていることが空しいのです」。
少女のこの訴えを聞いて、大拙はただ「そうか」と頷いた。
「否定でも肯定でも、どちらでもない言葉だと思いました。
が、その一言から感じられる深い響きは、私のかたよっていた心に、
新たな衝撃を与えたのではないかと、今にして鮮明に思い出されます。
先生は私の手を取り、その掌を広げながら、
「きれいな手ではないか。よく見てごらん。仏の手だぞ」。
そういわれる先生の瞳は潤いをたたえていたのです。
私が先生の雑務のお手伝いをしながら、心の問題と取り組ませていただいたのは、このような環境でのことだったのです。

 

 

 

 

 

  •  12月 16, 2013
4月 192013
 
スパツィオ・ロッサーナ・オルランディで発見した日本の工芸品 – ミラノサローネ 2013

 

 

『中川木工芸 比良工房』檜のワインクーラー。シャープな口縁が素敵!木桶をこんな風に使えるとは、ポテンシャルを感じます。

 

『Sus Gallery 』 というブランドのチタン製タンブラー。真空二重構造の保温性、保冷性があって、持ち上げた時にはその温度を感じないという。金属でありながら、とても温かみのあるフォーム。テキスチャーにも、金属の冷たさはなく、発色はいぶし銀の世界。

 

 

 

いつでもエッジーな人で賑わうスパツィオ・ロッサーナ・オルランディ

  •  4月 19, 2013
4月 152013
 
アンディー ウォーホール展 – ミラノ20世紀美術館
Andy Warhol’s Stardast – Museo Del Novecento

 

私は、人に年齢を知られないためにグレイヘアーにすることにした。それに、いつでも人が思うよりも若く見えるだろうから。

 

 

 

  •  4月 15, 2013
4月 072013
 

窓ぎわの照明とフラワーアレンジメント at  バガッティ・ヴァルセッキ美術館

Museo Bagatti Valsecchi  Milano

 

19世紀後半にバガッティ・ヴァルセッキ家の兄弟が、ロンバルディア様式で建てた館に、全財産を注ぎ込み、ルネッサンス様式の調度品や芸術品を飾ったそうです。実際に一家の邸宅として1974年まで使用され、現在は博物館として開放されています。サローネの時には、趣向を凝らした独特の感性の展示が行われます。イルサルマイヨと同じゲイトを入ったところにあります。

 

 

イルサルマイヨと同じゲイトを入ったところにあります。

  •  4月 7, 2013
4月 072013
 
カルロ・スカルパのカステル・ヴェッキオ美術館

 

サローネに行く前に、ヴェローナでワインの展示会 Vini d’Italia の仕事をしている友人と合流。イタリア全土のワインメーカーが一堂に会するこの展示会で、ワインを試飲して廻るのも魅力ですが、一番の目的は、ヴェローナ領主であったスカラ家の14世紀の古城をカルロ・スカルパが美術館にリノベーションしたCastello Vecchio を訪れることでした。

 

入室した瞬間、出口までが見通されます。透視図的な景観で、静かに奥へと誘うような印象。 8m四方の5室の展示室が、アーチの分厚い壁で分割されて「明るく広い」展示空間が「暗く狭い」小空間を挟みながら連結。第一室左の後ろ向きの彫刻は、鑑賞者に後ろを振り返らせるための仕掛け。視線を意図的にコントロールしています。

 

粗い白肌の壁に拡散する自然光と陰影の織りなす美しさは、完璧にデザインされていて、この採光が彫刻に精神性を与えています。

 

入室した瞬間から退室までずっと眺めることになる正面の円形の建具と格子戸のデザインは、日本建築の影響が明らかですが、完全に彼の中で消化され独自の美を生み出しています。

 

建物には、ほとんど手は加えられておらず、新たに造作されたコンクリートやキャストアイロンの見事な細部が、オリジナル部分を際立たせ美しく調和しています。温かい感覚と冷たい感覚、人工的なものと自然なもの、黒いスチールと白い石や赤銅色のスタッコ(多分)、均一なものと不均一なもの、曲線と直線。計算され尽くした対比の妙。工芸品のような存在感があるディテールの数々。

 

 

 

 

 

 

 

  •  4月 7, 2013
11月 292012
 
Venezia Biennale 2012 

 

ユーザーと寄り添い、人にも地球にも優しいコンセプト満載でした。

 

 

 

「ここに、建築は、可能か」をテーマに東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田に、被災者のための憩いの場、「みんなの家」をつくるプロセスが展示された日本館。近代の「個」の意味を問い直し、建築は誰のために、そして何のためにつくるのか、という最もプリミティブなテーマを追求したその試みで金獅子賞を受賞。

 

SANAAは、震災で大きな被害を受けた宮城県宮戸島の復興支援プロジェクトを展示。金獅子賞の日本館同様、大きな関心を集めていました。

 

『自分が全能であるかのような幻想を抱かぬようにユーザーの目線で仕事を全うする。』

 

 

  •  11月 29, 2012