蟹のカレー粉炒め(プーパッポンカリー)プーケット
The Crab House
あ

Pooh Patpong Curry「プー(蟹)」「パッ(炒め)」「ポン(粉)」「カリー」蟹のカレー粉炒め。ぎっしり実が詰まっていて(特に蟹爪!)食べごたえがありました。
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Pooh Patpong Curry「プー(蟹)」「パッ(炒め)」「ポン(粉)」「カリー」蟹のカレー粉炒め。ぎっしり実が詰まっていて(特に蟹爪!)食べごたえがありました。

チェンマイ名物カオソーイ カレー味のスープにもっちりした卵麺とカリカリの揚げ麺が乗っている。いつ来ても地元の若者が行列しているここのカオソーイにハマりました。薬味として、高菜漬け、マナオ(タイのレモン)、シャルロット(薄紫色の生の小玉ねぎ)唐辛子を付けてくれるのですが、これらを入れると味が引き締まって、さらにおいしくなります。

Kao Soi Nimman (カオソーイの専門店)


縁あって、チェンマイから車で3時間のメイチャンという場所にある寄宿学校を訪問。モン族やカレン族など山岳の小さな村には学校がないので、子供たちは寄宿舎で暮らしながら学校に通っている。ボーディング料金は、年間12ドル、払えない親は田植えなど労働を提供してもよいという。ここを運営する二人のシスターは、60人の子供の食事を作り、掃除や洗濯、もちろんお祈りの時間、授業も教えて、施設を経営管理し、田畑を耕し、家畜の世話もする。瞠目します。

子供たちが民族衣装で踊りを披露してくれた。これはカレン族の衣装。黒で装飾が華やかなものがモン族の衣装。


カレン族の村のミサに集まる人々



パース在住の日本人、特に日本酒好きの輸入業者や領事館などの努力があって、パースでは本当に美味しい日本酒が紹介されています。そして、人気も上々。今日の試飲会にも大勢のオージーが集まっています。



琉球舞踊が場に華を添えました。和太鼓や三線、茶道、生け花の愛好者も増えています。

これを見逃したら生涯悔いが残ると思い日本に帰国しました。次から次へと心に響く名品が現れ、感動して胸が一杯。めまいがするほど素晴らしい展覧会でした。

唐物茶入の「利休尻膨」。 その名の通り利休所持の名物で、宋代のもの。利休のあと家康が入手し、関ヶ原の戦いに際して細川忠興に送られ、現在はそのまま永青文庫の所蔵とのこと。家康は忠興がこの茶入を死ぬほど欲しがっていたのを知っていたのでしょう。

三井美術館で出会った時には、感動して動けなくなった「長次郎 黒楽茶碗 俊寛」。腰の張ったこの姿が美しい。黒釉の鈍い光を帯びた肌に「触れてみたい!」という欲念が掻き立てられます。

唐物茶碗 曜変天目(稲葉天目)は、世界で三椀のみとのこと。足利将軍家、徳川家、岩崎家へと伝わったとか。銀河系宇宙を彷彿させる内側の景色は、偶然の賜物。

1570年代の初代長次郎から現代当主15代吉左衛門までの径路を辿る展覧会。450年近く、それぞれの時代の当主が一子相伝の中、独自性を追求しようとする情熱は感じますが…。奇をてらったものは、なかなか心を打ちません。

ますます、予約が困難になってきたこのお席で、さいとうさんの仕事を見つめる至福の時です。初めてさいとうさんのお寿司を頂いた時に、一年に数回これが頂ければ、他のお寿司は、一切断ってもよいと思いました。

この笑顔に恋しております。

グッドフライデーに食べるのが「ホットクロスバンズ」。レーズンやオレンジピール、そしてミックススパイスの入った小型のパンで上部にクロス(十字)が入っているのが特徴です。半分にスライスしてトーストしバターをたっぷり塗っていただくのがイギリス流。しかし、今年は、見事に焦がしました。

本来、肉食を断つグッドフライデーですが、我が家は肉食ブランチにて悪しからず…。
不思議なプロポーションに首を傾げ、後日調べて納得し、下調べをしてから訪れたかっと後悔!
「護王神社は足利時代に起源をもつ。近年建物の老朽化が進み、修復が待たれていたが<直島・家プロジェクト>のひとつとして再建されることになり、アーティストとして私が指名された。設計にあたっては、規正の神社建築の形式にとらわれず、日本人の古代の神への信仰がどのようなものであったのかを想像上で再現するという形をとった。」杉本博司著

工学ガラスの光の階段


写真は杉本さんのサイトより引用 ア プロプリエト プロポーションとは、「神域にふさわしい比率」のこと。神社の拝殿は、伊勢神宮の中でも一番古い形式が残っている瀧原宮の比率をもとにしているそうです。

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。 隧道からの眺め。「石室内部へは山腹から隧道を堀り、コンクリート製の通路をもうけた。この神社を訪れる人はまず地上部の磐座と本殿を拝み、その後コンクリートのトンネルを通って古代の石室を垣間見る。そして現代へと戻る途路、隧道の間に古代から連綿とたたえられて来た海を望むことができる。」

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。石室内部。7世紀に神明造りという神社建築の様式が成立する以前はアニミズム的な自然界の中にある特殊な質をもつ「力の場」が、聖なる場として崇められていたと思われる。その「力の場」は時に巨木であったり、滝であったり、巨石であったりした。日本の神は一所不在とされ、神は人間によって掃き清められたこのような「力の場」に降臨すると考えられた。 護王神社の構想はまず、この神の依代となる巨石の探索から始められた。(中略)この石の下にはあらかじめ古墳を思わせる地下室が作られ、地上の神殿部と地下室が工学ガラスを原石のまま割り切った光の階段で結ばれることになった。この階段は巨石によって地上部と地下部が分離され、光のみが天井と地下を繋ぐことになった。
原爆ドームから近いところにできた折り鶴タワーへ行きました。散歩道と呼ばれる半屋外のスパイラルスロープを屋上まで上ると、息を吞みました。囲う壁がなく、木製の床、柱、庇のみの温もりのある空間。よく見ると安全対策のメッシュがありますが気になりません。鏡もうまく使って空間に広がりを持たせていました。 「ひろしまの丘」という名の通り、こんもりとした丘から街を見渡せるように勾配があり、勾配のステップ部分には、良い塩梅で腰掛けられるようになっています。 風を強く感じることが、コンセプトとのこと。




展望台からは、原爆ドームを上から眺めることができます。

散歩道と呼ばれる半屋外のスパイラルスロープ