バルバレスコのバールで

サルサヴェルデアンチョビで巻いて


サルサヴェルデアンチョビで巻いて


ユーザーと寄り添い、人にも地球にも優しいコンセプト満載でした。


「ここに、建築は、可能か」をテーマに東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田に、被災者のための憩いの場、「みんなの家」をつくるプロセスが展示された日本館。近代の「個」の意味を問い直し、建築は誰のために、そして何のためにつくるのか、という最もプリミティブなテーマを追求したその試みで金獅子賞を受賞。

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SANAAは、震災で大きな被害を受けた宮城県宮戸島の復興支援プロジェクトを展示。金獅子賞の日本館同様、大きな関心を集めていました。

『自分が全能であるかのような幻想を抱かぬようにユーザーの目線で仕事を全うする。』


久しぶりにスカラ座のボックス席を予約して、『ジークフリード』を鑑賞。時差もあって、『ジークフリード』の延々と続く回想場面に持ちこたえられるか心配でしたが、眠りに落ちることなく、ラストの壮大な愛の二重唱を堪能することができました。最近は『ワーグナーへの耐性』が、上がってきているように感じます。
過去の栄華とその後の衰退に縁取りされたドゥカーレ宮やサンマルコ広場。
特に夕暮れ時の物憂げな美しさ。
複雑に入り組んだ路地は、緑も少なく、
時として迷い込んでしまったような不安な気持ちを誘います。
美術館や教会で観るヴェネツィア派の大作の数々。
大運河から眺める豪奢な建築。
圧倒的に美しくて蕭然たるものを秘めたヴェネツィア。
そんなヴェネツィアで、ホッと一息つける安らぎの空間が
ペギーグッゲンハイムの美術館です。
彼女の趣味の良さがコレクションのみならず空間の隅々にまでいきわたっていて
本当に気持ちのよい場所なのです。
何より一人の人間の審美眼によって集められたコレクションには安心感のようなものがあります。
展示の量も丁度よく、少し見てはカフェや庭園で休み、また展示に戻る。
そんなことを繰り返して、半日でも一日でものんびりとそこで過ごす時間によって
心を満たすことができるのです。
緑溢れる庭園と彫刻に囲まれたお庭には、彼女自身が眠っていて、
多くの人が自分のコレクションを楽しんでいる様子を見守っています。
コレクションには、勿論エルンスト(一時婚姻関係にあった)の作品が 沢山あります。
カンディンスキー、ピカソ、キリコ、ミロ、モンドリアン、 シャガール、ダリ、マグリット、ポロック、ベーコン、ロスコ等多士済々。
ブランクーシ、ジャコメッティ、アルプ、ゴンザレス、ムーア、 マリーニ等の彫刻も館の内外に散在しています。
これらの一流の作家達の沢山の作品の中から、ペギーが集めたコレクションは、私の琴線に触れる作品ばかり…。
あれもこれも、好きなものだらけの大好きな場所なのです。
さて、今回のこちらの特別展は、カポグロッシ(Capogrossi) の回顧展。
あまり興味のなかったカポグロッシのへんてこな櫛のような半円形の作品でしたが
あの記号のような形の誕生からその成長を時系列で眺めるうちに
自然と彼の世界に入っていくような、そんな構成になっていて
すっかりそれにハマってしまいました。
「記号」で空間をうめる。
それは、小さなブロックで立体を作るのに似ています。
そしてその記号自体、延びたり縮んだり、自由自在。
篆刻風あり、モンドリアン風あり。
単なる「記号」なはずなのに、その「記号」がうごめくさまは、
何か生き物のようにも見えます。
線路の上を走る汽車のように見えたり、あるいは、象の行進のように見えたり。
自分の言葉を見つけたアーチストは強い。
とにかく、それぞれの作品が楽しそうだし、次々に何かアイディアが湧いてくるのが見えるようです。
同じ形の「記号」が、サイズを自由に変える。
または、1つ1つの「記号」が集まって、全体でまた同じ形を構成する。
あるいは色の反転。
最初はやや遠慮がちに登場したかに見えるこの「記号」は、
すぐに彼のすべてになり、
まさに水を得た魚のように、
自由に生き生きと、独自の作品を創り上げていきました。



Marino Marini 『The Angel of the City 』

Germaine Richier 『Tauromachy』

クリスティーズのサイトから素敵な写真を引用。Peggy Guggenheim and her dogs in the palazzo gardens, with Germaine Richier’s sculpture, Tauromachy