4月 072013
 

窓ぎわの照明とフラワーアレンジメント at  バガッティ・ヴァルセッキ美術館

Museo Bagatti Valsecchi  Milano

 

19世紀後半にバガッティ・ヴァルセッキ家の兄弟が、ロンバルディア様式で建てた館に、全財産を注ぎ込み、ルネッサンス様式の調度品や芸術品を飾ったそうです。実際に一家の邸宅として1974年まで使用され、現在は博物館として開放されています。サローネの時には、趣向を凝らした独特の感性の展示が行われます。イルサルマイヨと同じゲイトを入ったところにあります。

 

 

イルサルマイヨと同じゲイトを入ったところにあります。

  •  4月 7, 2013
4月 072013
 
カルロ・スカルパのカステル・ヴェッキオ美術館

 

サローネに行く前に、ヴェローナでワインの展示会 Vini d’Italia の仕事をしている友人と合流。イタリア全土のワインメーカーが一堂に会するこの展示会で、ワインを試飲して廻るのも魅力ですが、一番の目的は、ヴェローナ領主であったスカラ家の14世紀の古城をカルロ・スカルパが美術館にリノベーションしたCastello Vecchio を訪れることでした。

 

入室した瞬間、出口までが見通されます。透視図的な景観で、静かに奥へと誘うような印象。 8m四方の5室の展示室が、アーチの分厚い壁で分割されて「明るく広い」展示空間が「暗く狭い」小空間を挟みながら連結。第一室左の後ろ向きの彫刻は、鑑賞者に後ろを振り返らせるための仕掛け。視線を意図的にコントロールしています。

 

粗い白肌の壁に拡散する自然光と陰影の織りなす美しさは、完璧にデザインされていて、この採光が彫刻に精神性を与えています。

 

入室した瞬間から退室までずっと眺めることになる正面の円形の建具と格子戸のデザインは、日本建築の影響が明らかですが、完全に彼の中で消化され独自の美を生み出しています。

 

建物には、ほとんど手は加えられておらず、新たに造作されたコンクリートやキャストアイロンの見事な細部が、オリジナル部分を際立たせ美しく調和しています。温かい感覚と冷たい感覚、人工的なものと自然なもの、黒いスチールと白い石や赤銅色のスタッコ(多分)、均一なものと不均一なもの、曲線と直線。計算され尽くした対比の妙。工芸品のような存在感があるディテールの数々。

 

 

 

 

 

 

 

  •  4月 7, 2013
11月 122012
 
ヴェネツィアでホッと一息つける安らぎの空間 – ペギーグッゲンハイムコレクション
Venice Peggy Guggenheim Collection

過去の栄華とその後の衰退に縁取りされたドゥカーレ宮やサンマルコ広場。
特に夕暮れ時の物憂げな美しさ。
複雑に入り組んだ路地は、緑も少なく、
時として迷い込んでしまったような不安な気持ちを誘います。
美術館や教会で観るヴェネツィア派の大作の数々。
大運河から眺める豪奢な建築。
圧倒的に美しくて蕭然たるものを秘めたヴェネツィア。

そんなヴェネツィアで、ホッと一息つける安らぎの空間が
ペギーグッゲンハイムの美術館です。

彼女の趣味の良さがコレクションのみならず空間の隅々にまでいきわたっていて
本当に気持ちのよい場所なのです。
何より一人の人間の審美眼によって集められたコレクションには安心感のようなものがあります。
展示の量も丁度よく、少し見てはカフェや庭園で休み、また展示に戻る。
そんなことを繰り返して、半日でも一日でものんびりとそこで過ごす時間によって
心を満たすことができるのです。

緑溢れる庭園と彫刻に囲まれたお庭には、彼女自身が眠っていて、
多くの人が自分のコレクションを楽しんでいる様子を見守っています。

コレクションには、勿論エルンスト(一時婚姻関係にあった)の作品が 沢山あります。
カンディンスキー、ピカソ、キリコ、ミロ、モンドリアン、 シャガール、ダリ、マグリット、ポロック、ベーコン、ロスコ等多士済々。

ブランクーシ、ジャコメッティ、アルプ、ゴンザレス、ムーア、 マリーニ等の彫刻も館の内外に散在しています。

これらの一流の作家達の沢山の作品の中から、ペギーが集めたコレクションは、私の琴線に触れる作品ばかり…。

あれもこれも、好きなものだらけの大好きな場所なのです。

 

さて、今回のこちらの特別展は、カポグロッシ(Capogrossi) の回顧展。

あまり興味のなかったカポグロッシのへんてこな櫛のような半円形の作品でしたが
あの記号のような形の誕生からその成長を時系列で眺めるうちに
自然と彼の世界に入っていくような、そんな構成になっていて
すっかりそれにハマってしまいました。

「記号」で空間をうめる。
それは、小さなブロックで立体を作るのに似ています。
そしてその記号自体、延びたり縮んだり、自由自在。
篆刻風あり、モンドリアン風あり。
単なる「記号」なはずなのに、その「記号」がうごめくさまは、
何か生き物のようにも見えます。
線路の上を走る汽車のように見えたり、あるいは、象の行進のように見えたり。

自分の言葉を見つけたアーチストは強い。
とにかく、それぞれの作品が楽しそうだし、次々に何かアイディアが湧いてくるのが見えるようです。
同じ形の「記号」が、サイズを自由に変える。
または、1つ1つの「記号」が集まって、全体でまた同じ形を構成する。
あるいは色の反転。

最初はやや遠慮がちに登場したかに見えるこの「記号」は、
すぐに彼のすべてになり、
まさに水を得た魚のように、
自由に生き生きと、独自の作品を創り上げていきました。

 

 

 

Marino Marini 『The Angel of the City 』

 

Germaine Richier 『Tauromachy』 

 

クリスティーズのサイトから素敵な写真を引用。Peggy Guggenheim and her dogs in the palazzo gardens, with Germaine Richier’s sculpture, Tauromachy

 

 

  •  11月 12, 2012
7月 122012
 
鬼才タピエスが亡くなって

 

2012年2月6日、鬼才タピエスが亡くなった…。

数ヶ月前のインタビューで
「痛みを愛情で埋めることが重要なのだ。
そしてそのバランスが人生を楽観的にみせてくれるのだ。」
なんだか心に染みてくる言葉です。

バルセロナの彼の美術館にも行きましたし、彼の作品に感動した体験もあります。
それでも、彼自身については、詳しく知らなかったので、本を読んで少しだけ調べてみました。

1923年、バルセロナの弁護士の家庭に生まれ、蔵書に囲まれて育ったようです。
サルトルやハイデガーなど哲学書を愛読し、多感な13歳から16歳までの間に、スペイン内戦も経験してます。
大学で法律を学ぶかたわら、素描を学び、途中で法律を放棄して美術の世界へ。
内戦による心の傷などを抱え、抑えがたい表現意欲を駆り立てられたのでしょう。

50年代はパリに滞在し、ここで、アンフォルメル運動(*1)に参加し、彼の画風を決定づけました。
あらゆる形式的な配慮を捨てて、マティエール(粗くて厚塗りの絵肌)やコラージュ、絵具に砂を混ぜるなど独自の手法を作り上げ、
生きることの緊張感のようなものを、激しく表現するようになりました。

(*1)アンフォルメル(非定形なるもの)運動
第二次大戦後、フランスを中心にヨーロッパに登場した抽象絵画。
アメリカの抽象表現主義と平行した動き
「具象表現でも抽象表現でも、伝統的フォルムの概念がとりいれられている。
アンフォルメルはそうした概念を捨て去ることを目指した。
マティエールを通して、人間の精神の奥底にある複雑さと豊かさを自由に表現しようとした。」(ジャン・デュビュッフェ著)

60年代には当時のフランコ独裁政権に対する抗議運動に参画し、
身柄を拘束されたこともあるようです。
彼の表現が、鋭い緊迫感を秘めているのは独裁政権下の不安定感や憤りを反映しているからでしょう。

また、タピエスは、17歳から18歳にかけて胸を病み、山間での治療生活を送ったときに
ニーチェやショーペンハウエルを通して『東洋』に接して以来、東洋哲学にも造詣が深く、
『禅』は彼の芸術に強い影響を与えたと言われています。

愛読書である岡倉天心の『茶の本』について、
「精神と物質を分けず、宇宙的な広がりを捉える見方が私の考え方と一致します」(タピエス)

そして、1996年にタピエス著の『実践としての芸術』が出版されます。

「芸術は知の源である。科学や哲学などの源である。
現実認識を修正していくために人間が企てる偉大な闘争である。
芸術を通じて、芸術家は自らを高め、自らを解放する。(中略)
ある形式が、発表の場としての社会を傷つけ、怒らせ、反省させることができなければ、
あるいは社会の停滞を浮き彫りにし、社会を刺激することができなければ、
真の芸術作品とは言えない(中略)
芸術家は鑑賞者に、彼らの世界の狭さを悟らせ、新たな地平を開いてやらなければならない」(タピエス著)

いささか、教条的ですが…。

彼は、芸術が社会の目を開花させる能力を持ち、それが役目でもあるとし、
画家の社会的使命を意識し続けてきたのでしょう。

スペインの思想家オルテガの言葉です。

「芸術は単なる装飾品でも趣味でもなく、
歴史的パースペクティヴのなかでとらえた場合に、はじめて明らかになる多くの意味を持った人間的行為だ。」

この本の中のピカソやミロについての記述も面白く、

「1940年代の我が国の若者たちの多くは、
いつでもきちんと頭を梳かし、ネクタイを締めて、
行儀良くかしこまっていられるものだと信じ込んでいた。
ピカソの作品同様、ミロの作品が彼らに与えた密かな衝撃は、
彼らに自覚を持たせるのに大いに役立った。
もちろん、それは単に、美術という分野の内部に限られたものではなく、
彼らの生の全体に係わるような性質のものであった。
創造者の影響力とは常にそうしたものである。
人間と歴史をねじ曲げようとする力を目前にして、
目を開かれようとしていた者たちにおいて、
その感動はとりわけ深かった。」

タピエスは、ミロの絵が若者たちの心を開眼させたとして、権力者のいいなりになるのではなく、
郷土への愛や自らの自由を守る意志を示す人間へと目覚めさせたとしています。
ピカソとは対照的に、ミロは大々的に政治的な発言をしたり、社会批判の作品を発表してきたわけではなく、
唯々、カタルーニャの大地に根ざした作品を作り続けました。
その寡黙な創作姿勢を尊敬していたのでしょう。

絵画に触れることは、しばし芸術家の思想に耳を傾けることでもあって、
絵画を見た瞬間の魂を揺さぶられるような体験は、
そういうところからきているのでしょう。

死因などは、明らかになっていませんが、享年88歳。
最後の20世紀の巨匠は、現代にどんな思いを抱きながら、
この世を去ったのでしょうか?
好奇心をくすぐります。

 

 

  •  7月 12, 2012