10月 302016
 
直島 護王神社 – ア プロプリエト プロポーション 杉本博司

 

不思議なプロポーションに首を傾げ、後日調べて納得し、下調べをしてから訪れたかっと後悔!

「護王神社は足利時代に起源をもつ。近年建物の老朽化が進み、修復が待たれていたが<直島・家プロジェクト>のひとつとして再建されることになり、アーティストとして私が指名された。設計にあたっては、規正の神社建築の形式にとらわれず、日本人の古代の神への信仰がどのようなものであったのかを想像上で再現するという形をとった。」杉本博司著

 

工学ガラスの光の階段

 

 

写真は杉本さんのサイトより引用 ア プロプリエト プロポーションとは、「神域にふさわしい比率」のこと。神社の拝殿は、伊勢神宮の中でも一番古い形式が残っている瀧原宮の比率をもとにしているそうです。

 

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。 隧道からの眺め。「石室内部へは山腹から隧道を堀り、コンクリート製の通路をもうけた。この神社を訪れる人はまず地上部の磐座と本殿を拝み、その後コンクリートのトンネルを通って古代の石室を垣間見る。そして現代へと戻る途路、隧道の間に古代から連綿とたたえられて来た海を望むことができる。」

 

写真と文章は杉本さんのサイトより引用。石室内部。7世紀に神明造りという神社建築の様式が成立する以前はアニミズム的な自然界の中にある特殊な質をもつ「力の場」が、聖なる場として崇められていたと思われる。その「力の場」は時に巨木であったり、滝であったり、巨石であったりした。日本の神は一所不在とされ、神は人間によって掃き清められたこのような「力の場」に降臨すると考えられた。 護王神社の構想はまず、この神の依代となる巨石の探索から始められた。(中略)この石の下にはあらかじめ古墳を思わせる地下室が作られ、地上の神殿部と地下室が工学ガラスを原石のまま割り切った光の階段で結ばれることになった。この階段は巨石によって地上部と地下部が分離され、光のみが天井と地下を繋ぐことになった。

 

 

  •  10月 30, 2016
10月 302016
 
広島折り鶴タワーの展望台 – ひろしまの丘

 

原爆ドームから近いところにできた折り鶴タワーへ行きました。散歩道と呼ばれる半屋外のスパイラルスロープを屋上まで上ると、息を吞みました。囲う壁がなく、木製の床、柱、庇のみの温もりのある空間。よく見ると安全対策のメッシュがありますが気になりません。鏡もうまく使って空間に広がりを持たせていました。 「ひろしまの丘」という名の通り、こんもりとした丘から街を見渡せるように勾配があり、勾配のステップ部分には、良い塩梅で腰掛けられるようになっています。 風を強く感じることが、コンセプトとのこと。

 

 

 

 

 

展望台からは、原爆ドームを上から眺めることができます。

 

散歩道と呼ばれる半屋外のスパイラルスロープ

 

  •  10月 30, 2016
10月 272016
 
杉本博司「タイム・エクスポーズド」
直島ベネッセハウス ミュージアムレストランからの眺め

 

直島ベネッセハウス ミュージアムを訪れた時、バスキアの絵の前で、魂の叫びのようなものに打ちのめされ、少し休もうと、すく横にあったレストランの入り口を入りました。すると、コンクリートの壁で縁取りされた瀬戸内海の景色がハッと目に入り、なんだか心が晴れやかに切り替わりました。

 

杉本博司による世界各地の海と空の濃淡を撮影した水平線の連作が、屋外の海に面したコンクリート壁に展示され、目の前に広がる瀬戸内海の果ての水平線と呼応しています。

 

計算され尽くしたレストランからの眺め

 

  •  10月 27, 2016
7月 052015
 
「線を聴く」展 
LISTENING TO THE LINES 
銀座メゾンエルメス フォーラムにて

 

シンプルな「線」を考察す「線を聴く」展は、シンプルなかたち展に呼応する形で開催されていますが、

ここで私が魅了されたのは、ロジェ カイヨワ のストーンコレクション(フランス国立自然史博物館蔵)。カイヨワ という人の存在を知らずに50年以上も生きてしまいましたが、フランスの文芸批評家、社会学者、哲学者とのこと。さっそく著書の『石が書く』を読んでみたいと思います。

作品は、瑪瑙や大理石の切断面を研磨したものですが、何万年もの時を経て、様々な鉱物を含み年輪を刻んだ切断面の模様や色彩は、自然にゆだねられた偶然の造形美です。何万年の時の流れを内に秘めているから人を惹きつけるのでしょうか?

 

『あちこちに石がみずから書き残したしるしは、

それにこだまを返す他のしるしの探索と精神を誘う。
私はこうしたしるしの前に佇み、みつめ、記述する。
そのとき、遊びがはじまる、

発明であると同時に認識でもある遊びが。』

ロジェ カイヨワ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  7月 5, 2015
7月 052015
 
シンプルなかたち展:美はどこからくるのか

 

考古学的な作品から現代アートまで「シンプルなモノ」が、ジャンルを超え、時空を超えて集結するというのですから、行かないわけにはいきません。最終日になんとか間に合い行ってきました。

「とても官能的でエレガントな展示となった」

キュレーターである森美術館館長、南條史生氏はこう評したといいます。

森美術館、フランスのポンピドゥー センター メスとエルメス財団の共同企画で、ジャンド ロワジーがキュレーションした展示に、李朝の白磁壺(青山次郎所有)、仙厓の円相図、円空仏、長次郎の黒樂茶碗、東大寺二月堂の根来日の丸盆など日本独自の展示が加わっています。

入室するとまず、コルビュジェが浜辺で拾った石のコレクション(ぺリアンの集めたものもありました)。ただの拾ってきた石なのですが、何時間でもそこで対話ができるほど、たくさん語りかけてきます。

「昨今のコンセプト重視の現代アートに対し、感性で見る展覧会だ。」という南條氏のコメントの通り、虚心坦懐、心が感じる様子を別の私が観察しているような感じでしょうか。それは、官能的ともいえます。すべての作品や展示方法が洗練されていてエレガントであるのは、言うまでもありません。

私の中でのエレガントの極みは、李朝の白磁壺。それはそれは鳥肌が立つほど美しかったです。

それから、生涯を通じて、『シンプルなかたち』を追求したブランクーシの彫刻もやっぱり心を打ちました。

 

 

ピカソの「牡牛」の連作。牡牛が写実的なものから、どんどん単純化され幾何学化していく。最後のシンプルな線のみで描かれた牡牛が心を打ちます。単純化するということは、情報をそぎ落として大切なものだけ残すこと。すなわち、本質をつかむこと。

「シンプル > 普遍的な美 > 本質」そんな図式でしょうか?

シンプルが何かの本質を捉えていなければ、人の心は打たないし、普遍性も持たない、そんなことを考えながら、仙厓や長次郎を思いました。

ところで、この展示の素敵なところは、最後にスティーブ・ジョブズのデザイン哲学と関連づけているところ。スティーヴ・ジョブズは「シンプルになればなるほど美しさが増す。」というデザイン哲学を語るために、この連作を用いていたそうです。

 

 

 

セクション4「力学的なかたち」

大巻伸嗣のリミナル・エアー スペース・タイム

透明な布が、床からの送風機により、一定時間、宙に舞い、その変化し続ける形を鑑賞します。一切の装飾を排除した簡素な仕掛けですが、床に着地しては、舞い上がる柔らかな布の動きを何度も何度も、随分と長い時間、無心で眺めていました。背景の窓からの採光が刻々と変化することを考えると開館から閉館までずっとこの作品の前に居座りたくなってしまいます。

 

 

 

 

  •  7月 5, 2015
12月 162013
 
仏教学者 鈴木大拙の世界
 あ

禅を中心に仏教の本質を西欧世界に伝えることに尽力し、

1966年に95歳で亡くなった鈴木大拙さんの『鈴木大拙館』を訪れました。

敷地の特長である斜面緑地を背景に、石垣や水景など金沢を象徴する景観を創造し、

その中で鈴木大拙の世界を展開するというコンセプトのもと谷口吉生が見事に設計しています。

建築は、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」を回廊で結ぶとともに、

「玄関の庭」「水鏡の庭」「露地の庭」によって構成され、

この3つの棟と3つの庭からなる空間を回遊することによって、

来館者それぞれが鈴木大拙について知り、学び、そして考えるようになっています。

しんしんと降る雪の中、町の喧騒から逃れ、

心静かに、物思いに耽ることができる上質な空間で、鈴木大拙に関する本(置いてあった円空の本も良かったです)を何冊か読み彼に思いを馳せました。

最後にいくつか抜粋しています。

 

エントランスのアプローチ

 

玄関から展示棟までの『内部回廊』。足元よりの光が動線を示唆し、幻想的な空間を創り出しています。

 

『展示空間』に掛けられた「それはそれとして」の書。大拙さんは悩み事などを相談されると、じっくり話を聞いたあとに「それはそれとして..」と話し始めていたそうです。 自分の努力ではどうにもならない壁にぶち当たったら「それはそれとして」とつぶやいてみると、うまくいくこともあるかもしれません! 私もこの書のポストカードを机に置いて、物事にとらわれない心を養いたいと思っているのですが…。簡単ではありません。

 

大拙の著作と映像やラジオなどが視聴可能なiPadが置いてある『学習空間』。 窓の外は『路地の庭』。つくばいはイサム・ノグチのものだとか。

 

雪の降る『水鏡の庭』。定期的に波紋が発生し、水面はいったん乱れ、また元の静寂へと戻っていきます。しかし、戻ったように見えても先ほどまでの景色とは違います。水も、一箇所にはとどまらず絶えず変化しています。水鏡の庭に浮いているように佇む『思索空間』。

 

『展示棟』から『思索空間』への回路で、『水鏡の庭』を眺めることになりますが、私的には、ここは一種の瞑想空間。降りゆく雪が水面にあたり、消えてゆく様子を無心で長いこと眺めていました。

 

『思索空間』側から『展示棟』へ戻ると、斜面になった背景の自然が視界に入ります。

 

 

 

日野原重明さんのコラムから

『仏教学者の鈴木大拙老師の言葉「それはそれとして」が私の心に深く染みこんできました。 特定の物事にとらわれることなく、「それはそれとして」、心を流れる水のように保つ。
来るべき時間をよりよく生きるため、しなやかな心で前を向く。
「それはそれとして」そうつぶやいた時、私はやっと体の疲労感とともに、精神の疲れまでもが、さらさらと洗い流されていったように感じました。』

 

大拙師の最晩年の15年を秘書役として生活を共にし、記念館の名誉館長である岡村美穂子さんと大拙について『三人の女性と鈴木大拙』(上田閑照著)から

「一人」を生き、世界の只中で働きつづける大拙に、ニューヨークで彗星のように一人の少女が現れる。

その人こそ大拙の死まで秘書を務めた岡村美穂子さんでした。
この出逢いこそ、正真正銘の出逢いと呼ぶべきでしょう。

以後、大拙は生き生きと、明らかに生まれ変わったのでした。
その出会いについて、大拙の没後、岡村さん自身が書いている。

ニューヨークに住むハイスクールの一生徒、十四歳の少女が
「仏教のえらい先生が日本からおいでになって」
コロンビア大学で講義があるということを知り、
「どれ、聞いてみてやろう」と
「私も気負っていたのかもしれません」と彼女は言う 。

大勢の大学生や教師たちの間に忍び込み、大拙先生の現れるのを待っていた。
やがて教室の扉が開かれ、片手にこげ茶色の風呂敷包みをかかえた大拙が
「風を切るような大股でサッサッと」教壇を目指してまっすぐに歩いてゆく。
教壇にのぼり、風呂敷包みを丁寧に広げ、
和綴じの本を二冊取り出して、その本をめくってゆく。

その大拙の現われにおける身体の動きに、彼女は
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」を感じた。
「先生は、然るべき項を見つけると、静かな口調で話をはじめられました。
私は、その気品ある見事な英語に驚かされました。」
大拙(当時八十歳)の「仏教哲学」の講義が始まった。

講義の内容は十四歳の少女には難しかった。
しかし講義を理解する以上のことを感じ取っていた。
「いつわりを知らない他の生き物のしぐさ」と彼女は言う。
人間には大なり小なり自意識による歪みや澱みが生ずるものだが、
彼女が大拙に見たものは、身体化された真実の自然さである。
彼女はそれを見ることができた。

彼女は「先生が全身で示される大説法それ自体」の響きを聞いた。
大拙は、繕わず巧まないところに大いなるものが現れるという意味の居士号「大拙」の通りに、その存在の現われをもって彼女を説得した。

彼女は、仏教も禅も知らず、素手で、それだけにより直接に大拙の存在の真実性を感じ取ったのである。
仏教界での大拙の連続講演も聞くようになった彼女は、
やがてコロンビア大学付属のホテルに住む大拙先生を訪ねるようになり、
大拙は彼女にとって次第に決定的になってゆく。

「人が信じられなくなりました。生きていることが空しいのです」。
少女のこの訴えを聞いて、大拙はただ「そうか」と頷いた。
「否定でも肯定でも、どちらでもない言葉だと思いました。
が、その一言から感じられる深い響きは、私のかたよっていた心に、
新たな衝撃を与えたのではないかと、今にして鮮明に思い出されます。
先生は私の手を取り、その掌を広げながら、
「きれいな手ではないか。よく見てごらん。仏の手だぞ」。
そういわれる先生の瞳は潤いをたたえていたのです。
私が先生の雑務のお手伝いをしながら、心の問題と取り組ませていただいたのは、このような環境でのことだったのです。

 

 

 

 

 

  •  12月 16, 2013