6月 172014
 
神社のようなギャラリー『NAKANIWA』で感動した件 – サン・ジェルマン・デ・プレ

 

私自身が漠然と仕事を通して行いたいと感じていたことが

このギャラリーのサイトに明確に書かれていて

思わず膝を打ちました。

『日本独自の文化やその背景から産まれた素晴らしい製品。
それらに触れ、刺激を受け、魅了されることで得られる心の豊かさ。
今私たちが生きていく上で大切なこの事を、
世の中に伝え残し、皆さんと共有しなければという使命感。

(中略)

時代は21世紀を迎え、
経済の発展、高度な情報化社会が人々の暮らし方に変化を与えました。

私たちが果たすべき役割は
今まで育まれてきた大切な文化や製品の本質を見失わないこと。
同時に、これからの時代に相応しい形へと変化させることを恐れないこと。

この理念を持って、心の豊かさを創造していくことだと考えます。

また、環境変化に伴い、世界と日本の境界線は今後その意味合いがますます薄れていくように感じます。
異なる文化や新しい価値観を持った人々にも共有していくために、
最適な方法論を創造することも、我々に課せらせた役割であると考えます。』

http://maru-waka.com/about-us/

 

サン・ジェルマン・デ・プレのジャコブ通りにある日本の伝統工芸を紹介しているギャラリー「Nakaniwa」。ディレクターの佐藤さんのお話によると、伊勢神宮の神宮備林がある岐阜県の東濃地方の桧をパリまで取り寄せ、日本の数寄屋大工が建て、奉鎮祭には、奈良大神神社の神職が来たというから驚きました。毎日、神棚をお祀りし、お清めをし、心を込めて掃除をしているとのことでした。

 

神棚についてや神道的な考え方、自然への畏れの気持、自然との共存などフランス語で きちっと説明すると、フランス人も興味を持って共感してくれるそうです。

 

天然秋田杉を使った白木の曲げわっぱ「柴田慶信商店」など。和服姿が板に付いていらした佐藤さん。日本にいた頃から和装を通しているそうです。「日本文化の中から世界に通じるモノをコンテクスト化し、新しい日本的な視座を提案したい」と語ってくれました。

 

手前は九谷焼「上出長右衛門」がハイメ・アジョンとコラボした磁器

 

常滑焼「村田益規」。藻掛けという技法らしい。

 

 

 

隣接する会員制サロン「Miwa」の方は、贈り物をする人の心を「折形」に込めて、贈り物を包むというサービスを主にしています。

 

折形は、紙の折り方、水引の結び方、水引の本数によって、相手への心を伝える言語のようなもので、紙の折り方も江戸の末期には2000種類以上あって、折った形が中身を表していたので、開けなくとも何が入っているかわかったようです。

 

『MIWA』の入り口。さて、このジャコブ通りは、サン・ジェルマン・デ・プレ教会からセーヌ川に向かいふたつ目の通りです。一方通行の細い道の片側には、いつも車が止まっていて、一見すると地味な通りですが、この小さな通りに、なかなか面白いカフェ、パン屋、雑貨店、書店、アンティーク店、ホテル、などがあります。この通りに限らず、この界隈は、文化の香りがする素敵な散歩エリアです。

 

  •  6月 17, 2014
5月 172014
 
セレクトショップ・メルシィで思ったこと
Merci

 

私が変わったのか、店が変わったのか、開店当初の輝きを感じません。たぶん、私が年を取り過ぎたのでしょう。ただ、コレットやコルソ10コモに行けば、まだワクワクできる訳で…。ファスト・フードやファスト・ファッション同様にファスト・プロダクツとでも呼びたくなるような製品が、スペースを浸食してゆくように感じました。

 

 

 

カフェは素敵でした。食事も美味しかったです。

 

  •  5月 17, 2014
5月 172014
 
新生オルセーで腰かけられるところ – 徳仁の『Water block』他
Musee d’Orsay

 

どうしても休憩スペースや椅子に注目してしまう…これは私のどうしようもない習性でございます。今回は、単なる休憩目的ではなくアートとしてのベンチ、徳仁の『Water block』を鑑賞(に座る?)することが、最大の来訪目的でしたので、『腰かけられることろ』として、ここにまとめて書いておこうと思います。

 

以下の写真4枚は、Excite ism – オルセー美術館に吉岡徳仁「Water block」2011.10. 28 より使わせて頂きました。

 

床は暗い色のフローリング、壁もブルーグレー系の暗い色を採用していて、以前の全体的に白っぽくぼやけた雰囲気から刷新されました。この壁の色の選択には感服いたします。絵画の色彩が際立つだけでなく、洗練されていて、同時に空間そのものに居心地の良さを与える気がします。また、シェードを通しての採光が素晴らしいです。(*これは最先端技術のスポットライトで、自然光を再現しているそうです。)

 

暗いフローリングに、暗いブルーグレーの壁。そこに、この『Water block』の透明感が、入ることで、絶妙なるバランスが完成します。徳仁のインタビューから「今回、オルセー美術館のリニューアルに際し、マネやドガ、モネ、セザンヌ、ルノワールに代表される印象派が展示されるギャラリーに、このガラスのベンチを展示することを考えました。この《Water block》は、プラチナのモールドの特殊な技術から生み出され、まるで水の塊の彫刻のように光が屈折し、透明で力強い造形が現れる作品です。まるでモネの《睡蓮》に描かれている水面のように波だったベンチの表面は、印象派の描いた光に包み込まれ、歴史と現代の美しい対話が始まる空間をつくり出すのではないでしょうか。』

 

「わたしは、透明でありながら光の屈折によって、強いオーラを放つものをつくりたいとずっと思っていました。ガラスが固まる瞬間に生まれる偶然の美しさ。それは、水がつくり出す美しい波紋やきらめきを連想させる、自然が生み出す無秩序な美の表現でもあります。』(吉岡徳仁)

 

フランソワ・ポンポンのシロクマを眺められるカウンター席のある Cafe de l’Ours(熊のカフェ)。シロクマの臀部を眺めながら美術館の資料を読んだりするのも良し。カフェの照明とシロクマのバランスも素晴らし!

 

時計台の裏の休憩スペース。混雑していて、椅子の写真が撮れなかったので、美術館のサイトから引用。

 

逆光で時計と人々の影が絵のように見えるこの風景は、まるで昔にタイムスリップしたかのようです。フカフカのこの椅子にすっぽりと納まって静かに寛ぎたいところですが…、この騒ぎ。

 

セーヌ川の向こうの丘にサクレクール寺院が見えます。

 

ほぼ美術館の全長に延びるベンチ。人々が思い思いに休憩しています。手前の人、奥様の膝で完全に眠っています。

 

カンパナ兄弟がデザインした「カフェ・カンパナ」でランチを頂きましたが、味も居心地もあまりお勧めできません。このインテリアを初めて雑誌で見た時には、なんて素敵なんだろうと心が躍り、絶対に行きたいと思ったのですが…。写真映りの良いデザインなのでしょう。

 

やっぱり、写真写りが良い。

 

吹き抜け部分に点在する彫刻、ちいさく見える訪問客。この開放感。そして、所々に設けられたベンチの納め方がうまい。

 

1986年の美術館としての開館以来、特に多くの来場者が、5階奥に混在していた印象派とゴッホを見に来るので、そこに混雑が集中。そんな鑑賞者の動線を最適化する必要性などから、2009に大改修に入り、2011年に再オープンされたとのこと。つまり、大改修の大きなポイントは、印象派のギャラリーとゴッホ、ゴーギャンなどポスト印象派のギャラリーをフロアーを変えて分けた点です。確かに、今回、ゴッホとゴーギャンが、対峙するように展示されているのが良かったです。

オルセー駅舎、1900年から2011年までの歴史を美しい写真を通して知ることができる素晴らしいサイトは、ここから

  •  5月 17, 2014
5月 162014
 
オルセー美術館でゆったりとベルエポックの世界に耽る

 

今回の改築で東側の時計塔のスペースが有効に使われるようになり、そこにアール・ヌーヴォーの展示があります。(この上が、時計台裏のシルエットが素敵な休憩スペースになっています)さて、この展示、改装後の見どころの一つと言われているのですが、印象派の展示室の混雑とは対照的に閑散としています…。私にとっては、ゆったりとベルエポックの世界に耽ることができて嬉しい限りです。当時フランスの最高水準の技術により制作された、工芸、家具、装飾品などの流れるような曲線が織りなす豪奢なな作品の数々。それだけでなく、アーツ・アンド・クラフツ、ドイツやイタリア、スペインのアール・ヌーヴォーの展示もあります。

 

パリ・メトロのデザインで有名な建築家エクトール・ギマールが手掛けたロワ邸の窓ガラス。しっかりとした鉛の縁取りと色ガラスのバランス、ガラスに描かれた奔放な線のリズムが気に入っています。植物や花などを表さない抽象的なラインは、下の長椅子などの室内家具と呼応しています。

 

同じくロワ邸の喫煙用長椅子。パリ・メトロでの鋳鉄細工の仕事を思わせるような思い切った曲線。左手に喫煙道具の小函を配置した非対象の世界。ギマールは日本の『床の間』の非相称性に影響を受けたと言われています。この日本の非対称な構図については、日本美術を先駆的に論じた美術評論家エルネスト・シェノーが、的確に論じているので引用します。「左右不均衡の構図は余白を生み、動きを予感される形式にとらわれない形である。これには日本人の気取らない生活観に満ちた美意識があり、日本人の自然観が息づいているのである。」更に「日本美術の非対称の概念は単なる破調や自然を模した不均等ではなく、全体として統一(ユニティー)を希求した、より高次な調和への志向である。」(1878年)

 

 

ガウディ、グエル教会のベンチ。ロートアイロンとオーク材のバランスが良く、温かみのある作品。ガウディの家具は、見た目にも美しいのですが、同時に機能的なのです。手すりは、手にしっくりきますし、座面は快適に人を包み込んでくれます。これは、彼が人間工学にも精通していたことを伺わせます。さて、この教会用のベンチ、座面が少し外向きにカーブしていて、二人が座った時に、互いに少し外側を向く感じがなんとも程良く感じます。

 

シャルパンティエが手掛けたベナール邸のダイニング・ルーム。この美しい曲線に魅せられて、この人のことをちょっと調べてみました。

 

シャルパンティエについて、ざっと。パリ、労働者階級の生まれで、少年期にジュエリー職人に弟子入り。美術家になりたいという思いから、15歳でパリ国立装飾美術学校学に入学。彫刻科を希望するも学費が高かったため、メダイユ彫刻科で学ぶことに。生活費や学費の為に働きながらもメダイユのレリーフ学び、その才能を見事に開花させる。寡作の人で、ひとつの作品を製作するのに数年の歳月を費やしたと言われる。その後、アール・ヌーヴォーの芸術家として高級家具を専門に製作するアトリエを所有し、商業的にも成功。ロダンらと親交があり、リアリスムにも深い理解を示す。下のレリーフ作品「パン職人たち」は、彼が持つリアリストとしての側面がよく現れた作品。

 

若き労働者の肉体美と機械のメカニカルな美の調和が心に訴えてきます。ロダン によって非常に高く評価さた作品。

 

アールヌーヴォーからアールデコへの移行期の美しい肘掛け椅子。ヴュイヤールやボナールをはじめとするナビ派の作品が家具と一緒に展示されています。洗練されていながら濃艶な雰囲気が漂うカラースキームには脱帽します。

 

 

  •  5月 16, 2014
5月 132014
 
『ルーブル・ランス』の曖昧で幻想的な佇まいに魅了されて

 

地域再生の起爆剤
パリ北駅からTGVで1時間程度、ランスにできたSANAAが設計したルーブル美術館別館に行ってきました。ランスと言っても、シャンパーニュ地方のランス(Reims)ではなく、ベルギー寄りのカレー地方にあるランス(Lens)です。炭鉱の町として栄え、その後衰退したままのこの地で、ビルバオのグッゲンハイムが、町の観光地化を大きく牽引し、成功をおさめたように、この美術館も地域再生の起爆剤としての重責を担っています。

「風景の中に消える」というコンセプト
敷地を平地にせず、その高低差に馴染むように平屋の建物を配置した雁行建築。反射率の高い酸化皮膜されたアルミパネルとガラスの連続面に周囲の木々が柔らかく映し出され、空に溶け込み、曖昧で幻想的な印象を与えています。サナー特有の風が吹き抜けるような空気感、透明感もそこにあります。『金沢21世紀美術館を昇華させたもの』程度の気持ちで、この地を訪れましたがスケール感が全く違っていました。

 

 

『時のギャラリー』(la Galerie du temps)
「紀元前3千年から19世紀までの全作品をひとつのスペースに時系列に展示」することがコンセプト。手前から奥へと、アルミの壁に刻まれた年代にそって空間が細長く伸び、3Dの時代年表の中に舞い込んだような感覚です。

古代ギリシャの作品が、ペルシャ帝国やファラオ時代のエジプトの作品と隣り合って並んでいたり、古代ギリシャの石像を眺め、その視線の先にバロック絵画が見えたりします。自分の立ち位置と時代がリンクしていることがとても面白いです。

「パリと違ってこの美術館の目的は、6千年の歴史の中を歩きながら、博物館的に展示物を古いものとして見るのではなく、現代まで時間が繋がっていて、その先に自分たちがいるのだということを感じてもらう場所にすること、さらに異なる地域をまたいで行くので、いろいろな異文化を勉強する場所にすることにあるのです。」(妹島さん)

 

まず、展示室に入った瞬間、立ち尽しました。これまで経験したことのない、不思議な感覚。子供連れも多く、ある程度の話し声がしているのに静寂の空気が漂い。まるで雲の中を彷徨っているような現実離れした感覚です。 柔らかい自然光が、アルミの壁に反射して、作品や来場者がぼんやりと写り込んでできる効果が、このフワッとした雰囲気を作るのでしょうか?屋内でも屋外でもないような、何とものびやかな気分で美術鑑賞ができるのです。これだけ質の高い重厚な美術品が並んでいるのに、心が呑み込まれたり、疲弊するような、そういう圧迫感がこの空間にはありません。

 

梁が反復し、ルーバーが二重になった天井なので、直射日光を遮断し柔らかい自然光が入ります。

 

 

ラ・トゥールの「灯火の前の聖マドレーヌ」横には、悔悛するマドレーヌに合わせて、腕組みをして悔悛の表情の聖人の木彫り像。他にも、例えば、絵画の中の人物と隣の彫刻の人物の顔が同じ方向を向くような展示の工夫が沢山見られました。

 

フレームのないガラスケースなので、展示物の肩越しに違う時代の展示物が見えます。これも美術館特有の心への圧迫感を緩和して、ゆったりふわっと鑑賞できる効果があるような気がします。

 

 

 

 

ガラスを多用し、光を取り入れた設計で、内部は明るく、内と外の境界は曖昧です。仕切りは最小限で、1つの大きな空間の中に、受付、ショップ、インフォメーション、カフェなどの機能が見渡せます。

 

 

まだ進行中の、「Imrey-Culbert」によるランドスケープ。こんもり隆起した芝生は腰かけ椅子としてデザインされているのでしょう。大きな飛び石のように配置された白いコンクリートの輪が、躍動感を生んでいます。

 

ガラスのエレベーターを下りて地下に行くと、美術品の保管庫が全面ガラス張りで可視化されています。見ていると楽しいです!

 

 

 

  •  5月 13, 2014
5月 102014
 
ヴァン・ゴッホとアルトー オルセー美術館 特別展

 

オルセー美術館の特別展は、アントナン・アルトー(Antonin Artaud)の理論と視線を通してのゴッホ展。

アルトーは、たびたび襲う精神病に苦しみながらも創作活動を続けたフランスの劇作家,詩人,俳優。

「9年も精神病棟に収容されていた君なら理解できるはずだ。」と頼まれて、

1947年のゴッホ回顧展のテキストを献呈しています。

「ゴッホは狂人ではない。彼の作品、メッセージ、世界観を拒否した社会こそが、彼を自殺へと追いやったのだ」と。

素晴らしい特別展に出会えた幸運に感謝です。

この特別展では、『ローヌ川の星月夜』の黄色く川に反射する街燈の光の眩しさに驚かされました。

初めて見た訳ではないと思うのですが、もしかしたら改装された壁の色や照明の効果によるものだったのでしょうか?!

 

  •  5月 10, 2014
5月 072014
 
サグラダファミリア - Light should be just right

 

喧しい人々の長蛇の列に辟易としながら
長いこと待たされて
やっと内部に入ることができた
そこからが魔法だった

森の中にいるみたいな心地のよい空間
教会の厳格な雰囲気は全くない
それでいて神々しい
押し寄せる観光客の雑踏も全く気にならない
むしろゆっくりと見て回ることができたし
穏やかな空気が流れていたのはなぜだろう?

“Abundant light is a positive element but it is not right.
Light should be just right. Not too much, Not too little.
Sagrada Família will be illumines, will be church of harmony.”

Gaudí

ガウディの語った通りのハーモニーの世界が完成していました。

 

 

 

 

  •  5月 7, 2014
5月 062014
 
ビルバオの再生

 

優れた都市デザインが都市を再生させると云うまるで机上の方法論を、

魔法みたいに見事に実現してしまったビルバオ市。

私の尊敬するシーザー・ペリの途轍もなく大胆なマスタープランを採用し

世界の著名建築家にデザインを競わせ、

最先端技術を駆使して、美術館、数々の橋、新空港、地下鉄、国際会議場、コンサートホールを建設。

これらのモダンで無機質なデザインが当初から簡単に市民に受け入れられたとは考え難い…。

特に、フランクゲーリーの美術館など!

さらに、人口35万、都市圏を入れて105万人という都市の規模にはそぐわない、

トラム1路線、メトロ2路線、鉄道数社、バス数社という公共交通。

実際に全て利用してみましたが、システマティックで快適そのものです。

採算性をどう考えたのか、妥当性について疑問視されたでしょう。

しかし今では、この魅力的な都市に、観光やコンベンションの目的で

世界中から人々が押し寄せるようになりました。

バスク州政府なのかビルバオ市長なのか、

どんな確信があってこのプロジェクトに邁進したのか、

その勇気と見識と想像力を称えたいです。

 

 

町の中心を流れるネルビオン川沿いの芝生の上を、歴史的町並みを背景にしながら、音もなく颯爽と走るLRT(Light Rail Transit)。 環境と人に優しく見栄えもする、低炭素型都市づくりの象徴。低床式のトラムは本当に乗降が楽です!  この町は、地下鉄をはじめ至る所がバリアフリーです。

 

フォスター卿の地下鉄駅

 

フォスター卿がデザインした地下鉄の入り口が、町中で口を開けています。

 

カラトラヴァによる曲線の美しいチタニウム製のズビズリ橋(バスク語で白い橋)。

 

真っ白なアーチと繊細な吊りケーブルがビルバオの青空に映えます。吊りケーブル全体がアーチの頂上へ向かっていくような上昇感、求心性があり、かくも美しい橋なのですが、どういう構造で歩道面を吊っているのか不思議です。
先に見えるツインタワーがイソザキ・アテア(バスク語で門)。

 

ビスカヤ橋。世界遺産にも登録されている世界最古 (1893年)の運搬橋です。ワイヤーで吊り下げられたゴンドラが、ピストンで車や人を運びます。

 

 

フランク・ケーリーのビルバオ・グッゲンバイム美術館。年間100万人が訪れ、莫大な建設費は3年で回収したとか…。

 

いつでも沢山の人が散歩している、憩いの場となっているグッゲンハイム美術館の遊歩道。

 

カラトラヴァの空港

 

どこまでも白と曲線を求めた姿は、優雅さを感じさせます。サーフボードのような形をしたベンチの座板から、ボーディング・ブリッジにいたるまで、「ここまで曲げる?」と言えるほど、曲げまくる、カラトラバの真骨頂。この空港にいたボーディングまでの時間、鉄とガラスで出来ている建物なのに、布製のテントの中にいるかのような感覚の、温もりある空間でした。

 

 

 

 

  •  5月 6, 2014
5月 062014
 
ショパンとジョルジュ・サンドが暮らした修道院にて考えたこと

 

パリの社交界で道ならぬ恋に落ちたショパンとジョルジュ・サンド。
ショパンの結核療養と創作活動に相応しい場所を求めて、
マジョルカ島の山間の村ヴァルデモッサに辿り着きました。
1838年の12月、ショパンとサンドは、
中世に建てられたカルトゥハ修道院の
簡素な3つの僧房と庭を借り
彼女の2人の子供達と共に暮らし始めました。

ちょうど冬の雨季に入った島の気候と山間の不便な生活は
ショパンの病状を出発前より悪化させてしまい
また、異国の地から病気の愛人を同伴した不道徳なサンドに対する
保守的な村人たちの反感もあったようです。

この辛酸の日々が、二人の絆を強めました。
母のようにショパンを一生懸命看病するサンドの愛情。
そしてショパンの作品に対するサンドの進歩的で深い理解。
専門分野が違っても、審美眼が同じ域に達していたのでしょう。
それこそが彼の創作の大きな支えだったのだと思います。

この時に生まれた『雨だれ』は、
サンドの母のような愛情と
ショパンの破壊寸前のガラスのように繊細な神経が
ぶつかり合う響きのように感じます。

それにしてもジョルジュ・サンドという女性は、本当に魅力的な女性です。
閉塞的で保守的だった19世紀にあって新しい女、
気高く、自らの情熱としっかり向き合い、ペンをにぎり、恋多き女。
ドラクロワなどの第1級の芸術家や学者、ジャーナリストや政治家との親交。
彼らとの手紙のやり取りが書簡集となって出版されたり、
彼女の描く小説や評論は、新聞などに連載され、当時の民衆を虜にしたといいます。

スタンダールやドストエフスキーといった同時代人の作家仲間からも熱烈な支持を受けていて、
バルザックは、自分の小説に、サンドをモデルにした知性にあふれる女性作家を登場させているほどです。

それに対してショパンは、社交界では陽気で優しく魅力的だったけれども、
私生活では病人で、妄想にとらわれ、不安に打ち勝てず、
手に負えない男だったのではないかと思います。

それでもサンドは、ショパンという天才だけに生み出せるピアノの音の魔力に魅了され、
虜になり、その才にひざまずいた…。
その女心、わかります。

自分には達することのできないものを見た時の衝撃と尊敬の念が、
愛に変わったのではないでしょうか。

ショパンの死後のジョルジュ・サンドは、
田園をこよなく愛し、18世紀に建てられた故郷の館に隠棲し、執筆に専念。
フランスの最初の女性作家として72年の生涯を閉じ
この館の庭園で眠っているそうです。

余談ですが、彼女はこの館で、
召使いや料理人を雇えるような身分であったにもかかわらず
自ら台所に立ってシンプルな料理を作ることに喜びを覚えていたといいます。
時には客を招き、客は、庭でとれたフルーツや野菜、ジビエや森のきのこなどの彼女の料理に舌つづみをうったとか…。

サンドは、友人にあてた手紙で「コンフィチュール(ジャム)は
自分の手でつくらないといけないし、その間少しでも目を離してはいけません。
それは、一冊の本をつくるのと同じくらいの重大事なのです。」と書いています。

やっぱり魅力的です。

 

ショパンとサンドの暮らした部屋の中庭。

 

この中庭からは、糸杉とオリーブやレモンの木が連なる段々畑の景色が広がります。200年近く前に、同じ景色をショパンとサンドも眺めていたのかと思うと感慨無量です。

 

中庭の様子は、当時の絵画を参考に再現されています。

 

ヴァルデモッサ村。村中の至る所に鉢植えのお花が飾られていました。

 

 

  •  5月 6, 2014
5月 062014
 

 

 

カタルーニャ通り沿いのタピエス美術館のそばで素敵な画廊を見つけたので覗いてみると、

ピカソがノートの切れ端に描いたパステル画の落書きや美しいミロやタピエスが…。

説明を聞くとそのピカソの絵は、娘マハと遊んでいて描いたものだそうです。

そして、この画廊、元々、帽子好きのミロが営んでいた帽子店で、

相続したミロの娘が画廊を始めたというのです。

ミロの理解者で親友のプラッツも帽子店を営んでいたので、その店だったのかもしれませんが、

ミロの娘が相続してこの画廊を開いたのは事実のようで当時の写真なども見せてくれました。

こういう素敵な出会いには、胸が躍ります。

 

 

ミロの娘が始めた画廊。確かに帽子店の名残があります。奥行きのあるこの画廊、いくつもの展示室には、ピカソやミロ、タピエスなど 20世紀のカタルニャの巨匠の垂涎ものの作品が、次から次へと並んでいて、その質と量にビックリ仰天しました。

 

カタルーニャ通り (Rambla de Cataluña)は、真ん中を人が通り、車は両サイドの細い道に追いやられています。本来こうあるべきなのでは…。

 

雨の日のカタルーニャ通り

 

 

  •  5月 6, 2014